今回は2月24日放送の

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組で今回は、

岐阜県にあるポツンと一軒家

 

愛知県との県境の山奥、

道が確認できない、

周囲に田畑もない。

 

目指す一軒家の情報を得るため、

地元の住人を探すと、お母さんが

家の中に入って行くのを確認。

 

衛星写真のポツンと一軒家

ついて聞いてみると、お母さんが

あぁ、シガコさんとこかぁ。

と、有力情報GET。

 

お母さんによると、

目指す一軒家に住むのが、

ニシオさん一家親子2世帯同居

しているという。

 

そしてお母さんは、

私 今行で そっちへ。

私のあと付いておいで

と、教えて貰える事に。

 

お母さんの車について行って

5分ぐらいたった所で、対向車と

すれ違うため減速した後、停車。

 

お母さんは、対向車のお母さんと

会話を少しした後、先を進むかと

思いきや、道の脇に車を停めて

2人とも車から降りてきた。

 

すると、対向車のお母さんが

ポツンと一軒家の住人の

ニシオクニコさん??

 

本当に目指すポツンと一軒家

自宅なのか確認してもらうと、

これは違うなと言われてしまう。

 

ところが目指す一軒家は、

売りに出ている空き家だとわかる。

 

 

   

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目的の一軒家ニシオさんのお宅

じゃないとわかると、あー、

ザ・ショック!

 

でもね、入って、

景色見てもらうだけでも凄いもん、

放送は別にして。

 

これ、面白いと思ったら

取り上げてもらって結構ですけど

と、提案され、目指していた

一軒家から約2㎞先にあるという

ニシオさんのポツンと一軒家へ向かう。

 

 

 

 

ポツンと一軒家の主

ニシオリョウゾウさん92歳、

ニシオシガコさん87歳。

 

リョウゾウさんは、川崎航空機で

2年半、三式戦闘機「飛燕」戦闘機を

造って、それから兵隊召集され、

岩国の基地で終戦を迎えたという。

 

ニシオ家は、先祖代々の米農家で

今は自分たち家族の分と、親戚

ご近所さんへお裾分けできる程度に

作っている。

 

 

 

眺めの良い景色

 

 

 

木曽川や、中央アルプスの裾野

右の方のもっこりしたのは

恵那山だという。

 

元々は茅葺の屋根で、明治の初期に

茅がなくなったから、2階造って

瓦を上げて、下は300年くらい

経っていると話す。

 

家の中には、太い立派な丸太梁。

 

 

囲炉裏で火を焚くため、煙が上へ

抜けていくように天井がなく、

囲炉裏をやめた時点で網代天井

を貼ってもらった。

 

囲炉裏の煙で燻され、

防虫効果で家も長持ち!

 

釘やボルトを一切使わずに

建てられた楔の伝統工法で、

300年経った今も何の

問題もないそうです。

 

 

   

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リョウゾウさんは11人兄弟の

6番目だったが山奥の生活が

不便なため、麓の集落に行き、

リョウゾウさんが実家を継いでいた。

 

子供の頃は、家族15人が同居、

全部で20部屋あった。

 

昔は、養蚕業も営む兼業農家

だったそうで、蚕ろじ(蚕籠)

よばれる餌となる桑の葉を敷いて

蚕を飼育する籠を見せてくれて、

部屋という部屋には全部蚕が

いたという。

 

休む時には蚕の間に

寝ていたそうです。

 

2階でも蚕を飼い、

糸を引く機械も残っている。

 

 

今でも2千坪の棚田が残る

ニシオ家は、かつて3千坪の

農地を持つ地元の豪農だったが

10年前に農家を廃業。

 

 

もともと会社員の家庭で育った

シガコさんは、終戦後の食糧難が

続く中で、親の勧めもあり、

従兄弟のリョウゾウさんと結婚。

 

シガコさんは、町におったもんで

やっぱり不便やったし寂しかったけど、

住めば都でのんきで良い所と語る。

 

結婚生活66年、いつも夕飯のおかずを

作る為、畑で野菜を収穫する。

 

ニシオ家の古民家での暮らしは、

今も昔と変わらぬ自給自足が基本で、

人里離れた場所で暮らしていた。

 

 

   

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