今回は7月4日放送の

家、ついて行ってイイですか?

終電後の船橋駅で

タクシー代をお支払いする

代わりに家を見せてもらう

企画を振り返ってみます。

 

中国パブで飲んでいた男性、

大根さんと交渉成立。

 

おおねさんは、市川の本八幡にある

病院で歯科医師をしている。

 

前回分はこちら

 

 

   

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借金1億8千万円のおおねさん

 

 

 

利益を回して回ってきたら物件の

半分を塾にしたかったというおおねさん。

 

歯医者なのに塾を作ろうと思ったのは、

学問は武器だったりするから。

 

喧嘩がつよいやつが強い訳じゃない!

 

東京歯科大学で薬物療法の中で、

がん細胞を直接的にやっつける

実験をやっていたおおねさん。

 

3番目のお父さんも通っていた

同じ大学で行かなきゃダメだ

言われていたという。

 

おおねさんのはじめの名字は

木村だったが、鈴木となった。

 

鈴木のお父さんは交通事故で

亡くなってしまう。

 

そしてが村上だったので

村上に戻る。

 

しばらくすると新しいお父さんが出来、

おおねになった。

 

母親は生活費を稼ぐため、

水商売の仕事で、会えるのは3日に

1度で施設に入っていた。

 

生まれてすぐ施設に入ったおおねさん

だったので、とにかく母親に会いたかった。

 

母親に何かしてもらった記憶はないけど、

会いに来てくれた時は、犬のうれしょん

並に嬉しかったそうです。

 

寂しいなって思ったことはあったが、

生まれ育った環境を恨んだ事はない。

 

ある日の夜、に会いたくなって

家出した時、警察沙汰になり

その施設をクビになってしまう。

 

当時、3日くらい見つからず

公園で遊んでいる所で見つかる。

 

その施設に戻れなくなり、親戚がいた

岐阜、高知、名古屋で住むことも。

 

親戚は皆、事情を知っている為

優しくしてくれたと話す。

 

 

気付くとは、おそらく

店のお客さんと再婚し、

一緒に住めるからおいで

と、市川に来た。

 

そこでは、鈴木さんと

営む姿を目撃してしまう事も。

 

 

   

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お父さんがいなければ、

その辺のチンピラになっていた。

 

3番目のお父さんとの思い出は、

沖縄に行ったり、中森明菜さんの

レコードを買って貰ったりした。

 

小学校の時は、両親と一緒に

3人でゴルフに出掛ける事もあった。

 

だから、自分にとって

ゴルフは大事なものとなっている。

 

大学3年生の時、お父さんが死んだから

そこから俺が次の子どもたちに

してあげなきゃと思ったという。

 

きっかけを与える大人に

ならなきゃいけない!

 

それで塾を作ろうとしたら失敗。

 

自分がそうだった実体験から、

施設に入ってて親がいない子

きっかけが必要だから、

チャンスタイムを作ってあげられる

なら作ってあげたい。

 

日本の未来が明るくなる

塾を作りたい!

 

出来る子だと思ったら、

無料で通わせてあげたい。

 

勉強だけじゃなく、塾の中に

ゴルフの施設を作ったりする。

 

塾を卒業した後、成功していける

人になって欲しい。

 

死ぬまでには絶対にやる、

それが出来たら気持ちよく死ねる

と、これからの目標を話してくれた。

 

 

   

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