今回は11月22日放送の

ビーバップ!ハイヒール

で放送された

大阪チンチン電車

の回を振り返って

みたいと思います。

 

今、1冊の小説が関西の書店で

爆発的に売れているという。

 

 

阪堺電車177号の追憶 (ハヤカワ文庫JA)
山本巧次
早川書房
売り上げランキング: 138,055

 

第6回 大阪ほんま本大賞を受賞した

山本巧次著書の阪堺電車177号の追憶

 

大阪と堺を結ぶチンチン電車自身が

過去の思い出を振り返る作品だという。

 

その主人公のモデルとなったのが、

昭和初期に製造されたモ161形車両で、

今も国内最古の現役車両として、

90年に渡りこのまちを走り続ける。

 

住吉大社浜寺公園などの名所旧跡

阿倍野の発展など、大阪の歴史を

見続けている貴重な車両。

 

 

   

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誕生当時から最新鋭の車両として

活躍してきたモ161形が昭和50年代

になると、お客さんから敬遠される

ようになってしまっていた。

 

それはこの車両には、床や天井など

内部が木製で強度が足りないため、

冷房装置が出来なかった事。

 

それからクーラー車が取り付けられた

昭和60年代からモ161形は激減し、

最盛期には15両あったものが4両に

なってしてしまったそうです。

 

ところが平成の初め頃、モ161形には

味があるとファンが急増し、乗りに

来たり、写真を撮りにくる人が

集まってくるようになっていた。

 

これを機に、阪堺電車はモ161形

チンチン電車の顔としてアピール!

 

すると通常運転に加え、

写真撮影会などのイベントに申し込みが

殺到するほどに人気となり、廃車寸前

から現役続行して、今と昔を走っている。

 

現在、大阪で走るチンチン電車は、

阪堺電車のみだが、かつては大阪の

街中を走っていた。

 

チンチン電車の軌跡に隠された、

大阪の知られざる歴史が見えて

くるというのは、阪堺電車

営業課長 向山敏成さん。

 

向山さんは運転士も務め、

チンチン電車の歴史に精通して、

庶民の足として、大阪の街を

走りながら時代の移り行く様子を

ずっと見てきたチンチン電車は、

大阪の歴史そのものだと語る。

 

 

   

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向山さんによると、チンチン電車

定義は諸説あるというが、

運転手と車掌間の合図にチンチンという

鐘が使われていた事や、走行時の警鐘音が

チンチンという音だったという。

 

 

大阪のチンチン電車のはじまりは、

明治33年に開業した大阪馬車鉄道で、

四天王寺の西門から東天下茶屋

1.7kmの距離を馬一頭で引っ張った。

 

当時、天下茶屋には天下茶屋遊園と呼ばれる

珍しい遊園地があり、馬車鉄道はそこの

乗客を運ぶ便利な交通手段として

使われていたという。

 

開業から3年後の明治36年には、

第5回内国勧業博覧会が開催され、

名所を結ぶ交通手段として活躍!

 

ところが明治37年に日露戦争が勃発し、

車両を引いていた馬は軍用場に徴用され、

運行ができなくなってしまったそうだ。

 

馬を戦争に取られたが、急激な文明開化が

すすんでいた為、大阪馬車鉄道は路線を

すべて電化し、チンチン電車を誕生させた。

 

現在の阪堺電車、東天下茶屋の駅には、

馬車鉄道跡と残されている。

 

大正に入ると、阪堺電車は利用客を

増やすため、堺の大浜海岸に

大型レジャーパークを建設した。

 

そこに駅を作り、路線を延伸。

 

やがて堺は関西屈指の

リゾート地として人気に。

 

宝塚の少女歌劇に対抗し、

大浜少女歌劇を設立して

880人収容の歌劇は、連日

賑わっていたとされる。

 

現在の終点、浜寺駅前は

夏に海水浴客で盛況していた。

 

 

   

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