今回は8月30日放送の

中居正広の金曜日のスマイルたちへ

和田アキ子さん

の回を振り返って

みたいと思います。

 

 

1981年に31歳でカメラマンの

飯塚さんと結婚した

和田アキ子さん。

 

結婚式直後の記者会見では、

幸せいっぱいの笑顔を見せていたが、

結婚に至るまでに和田アキ子さんには

とても悲しい出来事が…。

 

 

それは、結婚式から4ヵ月前の

1981年6月に和田さんの定期検診で

子宮筋腫が見つかり、治療の為

1週間入院することになった。

 

治療を終え、帰ろうとしていると

母親が目を真っ赤にして

戻って来たそうだ。

 

医師から和田さんの術後の

検査で子宮がんが発覚し、手術をすれば

命に別状がないが、子どもを産む

事が出来なくなると告げられていた。

 

子どもをいっぱい作るのが夢で

楽しみにしている和田さんの

気持ちを知っていたは、

どうにかならないかとお願いするも、

ホームドラマを見ては穏やかで

子どもたちの笑い声が響く家庭の夢が

叶わなくなってしまった。

 

和田さんに告知をし、本人に

確認をしないまま同意書にサインを

していたのだそうです。

 

そのことに当時31歳だった

和田さんは、ショックのあまり

狂ったように泣き叫び、

それまでに使った事のない

激しい言葉で責めなじった。

 

 

   

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その後、手術は成功したが

喪失感からこの窓から飛び降りて

死のうかな?と考えていたという。

 

病室の反対側は、新生児室で

ちゃんの泣き声が終始聞こえてくる

状態で死ぬことばかり考えた。

 

母親には、生理があるか?と聞き、

崩れるように泣かせてしまった事も

告白していた。

 

自分が産まなくてもいい、

夫の子どもが欲しいと

本気で考えていた事から、

そんな質問をしていた。

 

 

にも別れていいと告げたが、

先に籍入れといてホントよかった。

 

こんな事があった後だったら、

絶対に結婚なんてしてくれなかった

だろうと言われていた。

 

命が助かりさえすればそれでいい、

もしも説得に時間がかかり、病状が

悪化する恐れもあった。

 

にとっては、和田アキ子の命が

何よりも大事で、がんの発見があ

あと4日遅れていたら命の危険も

あったと医師が後に言っていたという。

 

愛する人の子を産めなかった、

それが和田さんの人生で

最も辛い出来事だった。

 

でも、子どもが居たら

変な意味じゃなくて、

芸能界にいなかったかも

わからないと話した。

 

 

   

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現在69歳の和田さんは週に3回、

ボイトレに通っているという。

 

1972年にデビュー4年目で21歳だった

和田さんに、北の宿から雨の慕情

勝手にしやがれまた逢う日まで

の名曲の作詞家 阿久悠さんに

事務所の社長 自ら和田の代表曲を

作って欲しいと頼み込んで

実現した作品だったそうだ。

 

和田さんは歌詞やタイトルにある

あの鐘を鳴らすのはあなた

あなたは誰の事かと阿久さんに

聞いたという。

 

 

あの鐘を鳴らすのはあなた
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すると、今までに出逢った全ての人に

感謝の気持ちを込めて歌えばいいんだと

教えられていた。

 

21歳だった和田には大きすぎる

テーマだったが現在は、昨年

武道館で50周年を終えて、

その時に次の目標をどうしようかと

思った時に何が足りないか考えたら

感謝の気持ちが足らんと感じ、

本当にみんなのおかげ。

 

この世界にいるとやっぱり

誰かのおかげで生かされてるし、

反対に口幅まったいけど、

誰かのために生きてるかもしんない。

 

45年以上たった今、歌詞の意味が

理解できるようになったという。

 

 

 

和田さんの長い芸能生活の

貴重映像を紹介する場面では、

しあわせ家族生活という番組で

ルービックキューブを破壊する映像や、

キス経験のない東大生に生放送中に

キスしてみたり、ボブ・サップさんから

逆にキスされ、one moreと発言した

アッコさんの姿が。

 

 

   

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