今回は5月24日放送の

ビーバップ!ハイヒール

大阪・摩訶不思議な寺社

を振り返って

みたいと思います。

 

京都には変わった神社仏閣が

多いが、大阪の方が京都より

お寺が多く、京都以上に

摩訶不思議な寺社が

溢れているという。

 

そんな大阪にある摩訶不思議な

寺院を紹介してくれるのは、

大阪歴史ツアーガイド

西俣稔さん。

 

 

7位 鎌が刺さったご神木(鎌八幡)

6位 ビルの前に立つナゾの鳥居(御霊神社)

5位 梅田の真ん中に歯の神様(歯神社)

4位 スリーダイヤを持つ神社(土佐稲荷神社)

 

7位から4位まではコチラ↓

大阪の摩訶不思議な寺社を振り返る1

 

 

 

   

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3位 くぐれない鳥居(玉造稲荷神社)

 

大阪市・中央区 JR環状線

玉造駅から徒歩10分にある、

玉造稲荷神社

 

発祥は、弥生時代の歴史が

深い神社で、大阪城の守り神

として崇められている。

 

神社の境内には、半分に割られた

誰もくぐれない鳥居があるという。

 

その鳥居は、かつては使われていたが、

阪神淡路大震災で損傷してしまい、

取り外されたという。

 

現在、神社には新しい鳥居が建ち、

損傷された鳥居は、必要ないが

大切に保存されている。

 

 

 

1603年 江戸時代の玉造稲荷神社は、

大阪城の守り神であるこの神社と、

深いつながりである豊臣秀頼

鳥居を寄贈していた。

 

豊臣秀吉像は全国各地にあるが、

秀頼像があるのは、日本には

この場所しかない。

 

秀頼は、母に甘やかされ

頼りない印象があるが、

それは後に徳川が作り上げた

イメージで、実際は

身長190cm以上で

聡明な人物だったという

記録が残っているそうです。

 

1615年の大坂夏の陣家康

勝利すると、淀殿秀頼は自害し、

豊臣の子孫を根絶やしにした。

 

それでも大坂の人々は、秀頼

死後400年が経った今も、秀頼

寄贈した鳥居を、たとえ使い物に

ならなくなったとしても、豊臣への

恩義を忘れず保存されている。

 

また、鳥居の横に建てられた

胞衣塚大明神には、豊臣に恩義を

感じる人たちの間で江戸から昭和まで

守り抜かた、秀頼がうまれた時の

胎盤を祀ったものが1983年に

作られたそうです。

 

 

   

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2位 聖地を守る張り子の虎(少彦名神社)

 

大阪市・中央区 道修町にある、

少彦名神社の境内に入ってみると、

本殿の中心の一番重要な所に

置かれている張り子の虎

 

江戸時代の道修町は、

薬の町だった。

 

1822年に大阪ではコレラが大流行、

大勢の死者が出てしまう。

 

そこで町の薬商人たちが協力し、

虎の頭蓋骨などの和漢薬を調合

した薬を作りあげた。

 

薬の原材料に使われた

虎の頭蓋骨とかけて、

少彦名神社の張り子の虎の

お守りと一緒に配られた事が

大評判となり、張り子の虎

神社の代名詞となった。

 

 

1位 お堂の周りに大量のしゃもじ(法清寺)

 

大阪市・北区にある、法清寺

境内に入り、お堂をみてみると

大量のしゃもじ。

 

このお寺は通称、

かしく寺と呼ばれ、

悲しい女の物語があるという。

 

江戸時代に曽根崎の遊女だった

かしくは、美しさで武家に

見受けされ、慎ましく暮らしていた。

 

普段は、大人しい性格だったが、

酒癖が悪かったという。

 

ところがある日、

酒に酔った勢いでかしく

兄を殺害してしまい、

そのまま捕らえられ

死罪となってしまう。

 

かしくは最後の頼みとして、

油揚げを貰うと、油揚げ

油で髪を整えた。

 

死の間際でも美しくあった

かしくの姿に人々は

魅了されたという。

 

を殺した罪は許されなかったが、

人々に愛されながら亡くなった。

 

やがてかしくの墓で、かしく

墓石を削ってこっそり飲ませたら、

酒が嫌いになるという噂が広まり、

酒に悩む人たちが墓石を削りに

訪れるようになり、かしくの墓は

ボロボロになってしまった。

 

墓になっても身を削られる

かしくを哀れんだ住職は、

飲酒に悩む人たちに墓石代わりに

しゃもじを授けるようになったそうだ。

 

お酒がお米で作られている事から

しゃもじはご飯をすくう。

 

苦しみからすくう

と言われているそうです。

 

 

   

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