今回は、1月13日放送の

消えた天才 新企画

別の道に進んだ 天才2世は今

を振り返っていきたいと

思いますので宜しくお願い致します。

 

国民的アスリートの2世は今、

野球を中心に様々なスポーツ雑誌を

発売するベースボール・マガジン社

営業担当をしているという。

 

2世の名前は、天哩さん。

 

国民的アスリートの結婚式では、

報道陣で大騒ぎだったそうで、

33歳当時の奥さんである美恵さんは、

聖子ちゃんカットが印象的だったそう。

 

国民的アスリートのご自宅は、

地下1階 地上3階の4階建ての豪邸。

 

国民的アスリートは62歳で、

息子さんは4人。

 

お見合い結婚で、ドラマ 陸王

俳優デビューしたが、映ったのは

5秒で発言は7文字だったという。

 

その国民的アスリートの名前は、

瀬古利彦さんでオリンピックには

2度の出場を果たす。

 

早稲田大学で1年から4年連続

2区でエースとして活躍、

マラソンでも大活躍。

 

国際大会で15戦10勝、

現在は東京五輪マラソン強化戦略

プロジェクトリーダーも勤めている。

 

当時は瀬古カットが流行してたとか?

 

 

   

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天哩さんも小学校の運動会では、

ダントツで速かったそうで、

利彦さんもお父さんを超えてくれる

かな?と思っていたそうです。

 

小学6年生の時、渋谷区小学校

陸上記録会の男子1000mに出場した

天哩さんは、2位以下に半周以上の

差をつけダントツ1位となる。

 

その記録は、大会新記録となり

15年経った今も破られていないとか。

 

でも天哩さんは、お父さんの才能を

受け継ぎならがも同じ道に進まなかった、

それは何故なのか・・・・

 

 

 

天哩さん以外の息子さんは陸上を

やっていなかったが、天哩さんだけは

利彦さんの才能を受け継いでいるように

見えたため、中学校でサッカー部を

選んでいた天哩さんだったが、陸上を

やって欲しいという父の願いに察し、

中3の時、高校に入ったら陸上をやる事に。

 

陸上を始めて1年で全国インターハイに

出場、誰もがその将来を期待していた。

 

天哩さんは2019年の箱根駅伝で

青山学院大学を倒し、初優勝した

東海大へすすむが、その後4年間の

箱根駅伝出場記録に天哩さんの名前は

なかった。

 

箱根駅伝に向けて練習をしていたが、

全国トップ選手が集まる強豪校である

東海大で頭角を現せず、全然知らない人に

瀬古の息子なのに何やってるんだよ

と言われていた過去があったという。

 

それでも必死に練習したが、当時は

選手を引退してマネージャー

転向してもらう事になっていた東海大。

 

天哩さんが大学2年の冬、

その年は立候補者がおらず、

部員全員の投票でマネージャー

選ぶ事になり、選ばれたのが天哩さんに。

 

絶望した天哩さんは、陸上をやめようと

マネージャーを告げられた直後、父親である

利彦さんに電話したという。

 

そんな時、息子お父さんの息子

大変だったろ。

 

でも部活はやめるな、4年間

やり遂げなさいと告げたという。

 

 

   

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その真意は、多少の苦労があったり、

思うようにいかなくてもやり続けなさい。

 

大学卒業して、社会人になって

あの時の俺、辛抱したからこの後も

大丈夫だと思える人間になれるという

教えを伝えていたのだそうだ。

 

 

天哩さんは、そこからマネージャーとして

4年間全うすることが恩返しになるんじゃ

ないかと思うようになり、4年生の時

東海大は箱根駅伝で4年ぶりの

シード権を獲得する。

 

レース後に選手たちは、マネージャー

天哩さんの感謝をこめて胴上げされた。

 

 

瀬古利彦さんの息子に生まれた天哩さんは

当時、苦しくてプレッシャーも凄くて

瀬古利彦の息子に生まれてこない方が

良かったんじゃないかというのはあったが、

瀬古利彦の息子でなければ出来ない経験を

沢山してきたと感じている。

 

いろいろ思い返してみると、

父さんの子どもに生まれて

よかったと話した。

 

 

   

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