今回は2月27日放送の
ビーバップ!ハイヒール
大阪橋ものがたり
の回を振り返って
みたいと思います。
大阪にある数多くの橋、
そこには行きかう人々の
ドラマが隠されている!?
そんな橋の魅力を教えてくれるのは、
大阪大学教授の橋爪節也先生。
橋爪先生は、橋というのは、物と物、
あるいは場所と場所をつなぐだけではなくて、
人と人をつなぐものでもあるという。
百獣の王が吠える場所
だが、難波橋には4頭の
ライオン像しかない。
5頭目のライオン像がある場所は、
和歌山県和歌山市にある
がんこ和歌山六三園。
和食レストランチェーン
がんこフードサービスが
運営する料亭。
その玄関を見ると
あのライオン像
が鎮座している。
がんこ和歌山県六三の前身
=松井伊助の別邸
松井さんは株取引という荒野に
立ち向かう自分の姿を百獣の王に
重ねていたのかもしれない?
そんな5頭目のライオン像は、
今も松井さんの故郷 和歌山で
彼の思いを受け継ぎながら
吠え続けている。
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大阪とパリを愛した天才画家
土佐掘りと中之島を結ぶ肥後橋。
肥後橋の風景に魅せられた
天才画家が居た!
1924年、大正時代に活躍した
佐伯祐三さんは、25歳の時
パリの街を描きたいと、
フランスへ渡る。
異国の地 パリの風景に心奪われた
佐伯さんは、独特のタッチで
パリの街角や人々を描く。
そして、日本を代表する
西洋画家として評価が上がった。
が、佐伯さんの体を結核が
蝕んでいた。
渡仏から3年後、心配する家族からの
強い要請で日本へ帰国。
そんな失意の佐伯さんを癒したのが
”肥後橋の見える風景”。
頻繁に通っていた画材屋が近くにあり、
姉の家に行く時も必ず渡る肥後橋を
佐伯さんは愛していた。
そして中之島の街並みは、
パリのシテ島をモデルに
つくられたといわれている。
佐伯さんは、肥後橋の見える風景に
愛したパリの街並みの面影を
重ねていたのかもしれない。
そんなある日、関東大震災の教訓で
肥後橋をもっと頑丈な橋になる話を
聞いた佐伯さんは、愛した肥後橋を
せめて絵画に残そうと筆をとる。
その絵は大阪の風景でありながら、
どこかパリの街並みを感じさせるのは、
彼が何よりも愛したパリの面影を
この絵に残そうとしたからかもしれない。
佐伯さんは、絵を完成させた後
再び渡仏するが、結核が悪化し、
翌年フランスで帰らぬ人となった。
享年30歳。
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彼の死から93年、大阪中之島に
新たな美術館がオープン予定。
その美術館に佐伯さんの作品56点が
収蔵されるという。
大阪・東淀川区にある端光寺にある
池に架かる橋には変わった特徴がある。
それは、鯨の骨で造られている事。
この橋の名前は、雪鯨橋で、
江戸時代 住職が和歌山県太地町で
豊漁祈願を行い、太地町から
鯨の骨18本が寄贈され、
その骨で造った。
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