今回は9月10日放送の

ネーミングバラエティー

日本人のおなまえっ!

ウルっとくる地名

振り返ってみたいと思います。

 

日頃たまった心のストレスを

癒してくれるウルっと来る

地名が紹介された。

 

地名には悲しい恋の結末や

友情物語など、心にしみる出来事が

込められたものがあるという。

 

幸福町という名前の地名は、

今や縁起の良い地名として

観光客に大人気だが、そこに

故郷を捨ててきたウルっとくる

物語がある。

 

 

北海道帯広市幸福町には、

幸福駅もある。

 

1970年代に愛国から幸福ゆき

という切符があり、これを持つ

事で幸せになれると言われた。

 

だが、幸福町の由来は

ハッピーとは関係がない!

 

幸福町「幸」の字の

由来を調べてみる。

 

帯広百年記念館 学芸員の

大和田努サマによると、

幸福町が含まれる地域は

もともと、幸震と書いて

「さっない」と呼ばれて

いたという。

 

その由来は、幸震はアイヌ語で

「サッナイ」と呼ばれ、

日本語訳にすると乾いた川

 

流れている水が地下水になって

河川の表面に現れなくなって、

乾いているように見える川。

 

サッナイのナイ(ゐ)は、

古い言葉で地震のことを

言った。

 

 

ただ、読めない人が続出し、

次第に漢字を音読みにして

幸震(こうしん)になったそうです。

 

 

   

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「福」は明治時代に政府から

通達され、その通達が幸震地域に

「幸福」という地域になる

きっかけとなったのが、

北海道移住案内

 

 

事実をもとに創作した物語、
「福」に隠されたウルっと人間ドラマ。

 

明治30年代、巨大な木が

うっそうと生い茂る原野を

開墾する5世帯の家族がいた。

 

この地に畑を作る吉兵衛

 

明治政府は北海道の開拓のため

移住する人を集めた

北海道移住案内

 

土地を畑に変え、政府の検査に

合格すれば、その土地を貰い

受ける事が出来た。

 

その方針に多くの貧しい者たちが

故郷を捨てて、新天地に渡る。

 

吉兵衛も仲間たちと一緒に

幸震に移住。

みとうのち

しかし、幸震での生活は厳しく、

冬はマイナス20℃を超える。

 

ここは、未踏の地。

 

木が倒れて人が下敷きになっても、

医者を呼ぶことはかなわない。

 

時に倒木の衝撃は、冬眠中の熊を

目覚めさせることもあったりと、

開拓は常に命がけ。

 

極寒の幸震村は、家の中でも

厳しい寒さが襲う。

 

らの家は木の皮や草を

敷き詰めて造った自作の

掘っ立て小屋。

 

粗末な造りの家では、

隙間風や雨漏りは日常茶飯事。

 

 

   

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明治28年、福井県で未曽有の

大災害が起きた。

 

連日の豪雨で九頭竜川が氾濫し、

家屋を奪い去った。

 

吉兵衛たちは幸震に移住した時、

生まれ育った福井への思いを

断切っていた。

 

吉兵衛たちは来る日も来る日も

必死に働き続けた。

 

農業が軌道に乗るまでに

およそ20年かかった。

 

 

大正6年、この地でもう一度

人生をやり直そうと、辛さを

乗り越えた証を作る為、

自分たちの土地に名前を残す事に!

 

 

幸震「幸」と、吉兵衛たちの

生まれ故郷の福井の「福」

をとって幸福。

 

幸福町「福」とは、

自分たちが捨ててきたはずの

ふるさとの一文字だった。

 

 

開拓の方達は、やっと農業で

食べていけるようになって、

自分たちの産業組合の名前を

大正6年に「幸福産業組合」

発足し、大正15年に幸福町

の地名が誕生した。

 

 

   

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