今回は10月24日放送の

世界一受けたい授業

内田篤人流メンタル術

を振り返ってみたいと思います。

 

 

今年の8月に14年半の現役生活に

幕を下ろしたサッカー元日本代表

内田篤人先生は今、サッカーの練習が

ないので、子どもの幼稚園のお迎え

などをして、今が一番楽しいという。

 

甘いマスクで女性ファンに大人気!

 

イケメンJリーガー選手権1位

「じゃらんリサーチ」調べ

第5回「Jマジ!イケメンJリーガー選手権」より

 

恋人にしたい日本代表1位

サッカーランキング

 

2010年 名門シャルケに移籍。

 

Jリーガーの平均年棒 1850万円

だった当時、22歳の内田先生の

年棒は推定2億1000万円。

 

日本人初の快挙、チームを

チャンピオンリーグベスト4

導いていた。

 

ドイツ・ブンデスリーガー

ベストイレブンに2回輝いた

内田先生は、身長176㎝。

 

身体が特別に大きい訳では無く、

50mのタイムも6秒台と飛び抜けて

速い訳ではないが、内田式の

メンタル術のおかげで世界のトップに!

 

チームにいち早く馴染むため、

内田先生はドイツ語が全く

わからなかったが、あえて

通訳をつけなかった。

 

直接会話→選手との距離を縮める。

 

通訳をつけないで嫌でもドイツ語を

学ばなければならない環境にした事で、

フランス代表のスター リベリー

抑えるなど、チームの勝利に貢献。

 

世界を代表する選手に!

 

 

   

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内田先生が当時、

過ごしたドイツの自宅は

テニスコート一面分の

広さ200㎡。

 

 

人生で大きな決断をする時の

ヒントを内田先生が教えてくれる。

 

親が教師だった事から、

内田先生も教師になりたいという

時期もあった。

 

サッカーを始めたきっかけについて、

幼稚園の時にJリーグが始まって

キング・カズに憧れた事だと語る。

 

プロになってから、食事に誘って

もらうと、同世代の香川真司さんや

吉田麻也さんもいて、トイレで席が

空いている隙にカズさんの隣に

座っていたとか。

 

プロになる時、7チームからの

スカウトがあった中から内田先生が

鹿島アントラーズを選んだ理由は

スカウトの言葉にあった。

 

その言葉とは、

「試合に出られる保証はないよ。」

 

来てもレベルが高いから、

出られる保証はない!

 

練習を見に行った時に

鹿島の選手も、

「好きな所へ行け」

「自分で決めろ」

と、言われたそう。

 

内田先生は、そういう所が

プロフェッショナルだと感じて

入ろうと思った。

 

 

   

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世界で活躍する選手を多く見てきた

内田先生は、自分のゴールで勝っても

感情を表に出さなかった。

 

しかし、プロになる前はサッカーの

名門 清水東高校では、1年から

大活躍し、勝っても負けても

激しく感情を出していた。

 

それは、プロに入って

一流選手は常に気持ちが一定で

ブレないと知ったから。

 

表には出さないが、熱い気持ちは

根元にあったそうだ。

 

良い時も悪い時も常に、

一定の気持ちで試合に臨む。

 

それが安定した良いプレーに

つながっている。

 

これは、スポーツに限らず、

仕事や勉強でも安定した結果を

上げる手段だという。

 

2006年に17歳で鹿島アントラーズ

加入した内田先生は、開幕戦で

クラブ史上初の高卒ルーキーで

スタメン出場。

 

2年連続でベストイレブン

選出され、日本代表として

活躍した。

 

 

   

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