今回は7月6日放送の

ビーバップ!ハイヒール

関西 世にも異形な

仏像ランキング

の回を振り返っていきます。

 

 

香川県の観音寺市にある御堂には、

樹齢1200年の大クスノキの幹の中に

彫られた大きさ1.5mの生木地蔵の姿。

 

足元が木と一体化している為、

年々身長が伸びているという。

 

このお地蔵さんが作られたのは、

今から180年前に、森安利左右衛門さんが

一人娘である、ナオ病気平癒として娘の

長寿を願い生きた気に彫ったそうだ。

 

そのお陰か病状は回復し100歳まで生きた。

 

以来、延命長寿のご利益があるとされている。

 

 

東京都の稲城市にある、よみうりランド/聖地公園

には、ヘッドフォンみたいな物をつけ

ピースサインをしている像がある。

 

この仏像にまつわるいいつたえがある。

 

平安時代に神官の娘が川で流されてしまい、

人々は娘の遺体を捜していると、川底から

その像が発見された。

 

ヘッドフォンに見えたのは、

美豆良と呼ばれる日本古来の髪型

卑弥呼さま~

 

ピースサインに見えたのは、

刀印と呼ばれる仏サイン。

 

2つをあわせ持つ異形の仏像が

示しているのは、奈良時代で伝わった

仏教が平安時代に既に神道融合

されていて信仰されていた証で、

神仏習合を示す妙見菩薩は

日本に一体しか残っていない。

 

 

カシコブレーンは、神仏ライターで

ミステリーな仏像の著者

本田不二雄さんが

紹介してくれた。

 

 

   

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6位 顔が怖すぎる像(奈良県・東大寺)

 

世界中からの参拝者も多い東大寺の

大仏殿の外に賓頭盧尊者像は、

すさまじい形相をしている。

 

賓頭盧尊者とは、釈迦の弟子の一人で

神通力や説法に優れ、十六羅漢の一人

に選ばれるほどだったが、神通力で凡俗の

歓心を買うなど修行者のすべき事ではない

と釈迦に激怒され、死ぬ事も許されず

仏法を説き続ける存在になった。

 

この経緯から本堂の外に奉られるようになり、

病んでいる場所と同じ所をなでると治る

されてきた。

 

 

5位 異常に痩せた仏像(大阪府・南通寺)

 

堺市にある南通寺には、由来のわからない

普段は公開されていない非公開のやせ仏がある。

 

いいつたえによると、

五劫思惟とよばれる成仏する前の

阿弥陀仏を現しているという。

 

五劫=想像も絶するほど長い時間

 

それほどの期間考えを巡らせた姿

をしている。

 

やせ仏が数多く残されている地域は、

富山県に22体ある。

採用してください

 

法話に抑揚をつけるもので浪曲や落語の

母体である節談説教が盛んに行われていた。

 

その中で人気の歎異抄の一文から、

民衆の目に飛び込んだのが骨と皮だけの

やせ仏でキリスト教における磔刑のイエス像

 

世の苦しみを代理で受け続ける聖なる姿

 

 

   

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4位 裸体像は師弟の絆(奈良県・新薬師寺)

 

13もの国宝が祀られている名刹、新薬師寺

普段は非公開の全長190cmの景清地蔵がある。

 

昭和59年に東京芸術大学で修復の為

レントゲン撮影を行うと、内側にもう1体の

像が潜んでいる事がわかった。

 

腹部にあった700年前の願文には、

仲の良い僧侶の師弟が居たが、

師匠の実尊が亡くなり、弟子の尊遍

裸体像に実尊様の法衣を着せることや

自分の死後も供養が続くように

木の衣を貼装した。

 

今も師弟の強い絆を伝えている

 

 

 

3位 滑り落ちる赤ん坊(京都府・福田寺)

 

京都の福田寺には女神像があるが、

右脇から赤ん坊が滑り落ちている。

 

この仏像が作られたのは6世紀の中国で

皇帝武帝が難産で死亡する女性を救う

ために作らせたもの。

 

モチーフにされたのが釈迦の母である

摩耶夫人が右脇から苦もなく出産した

姿をあらわしている。

 

 

   

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2位 小野小町の悲劇(京都府・退耕庵)

 

東福寺の塔頭 退耕庵に、髪の抜けた頭に

皺が寄った醜い顔。

 

半開きの口から欠けた前歯、骨と皮のアバラ

萎んだ乳房を露にし、今にも倒れそうな体を

杖で支える仏像は、世界3大美女に数えられる

小野小町だった。

 

小野小町の容貌を描いた絵画は残っていないが、

彼女のモテぶりを伝える仏像はある。

 

それは、同じ退耕庵に祀られている

3mの玉章地蔵で、胎内に小野小町

送られたラブレターが封じられているという。

 

数多くのラブレターが送られた

小野小町は、その想いに答えれらない為

地蔵の胎内にラブレターを入れ

色情の妄念を成仏させていた。

 

そんな小野小町の心を動かした

深草少将に100日間自身の元へ

通ってくだされば貴方の思いのままに

なりましょうと伝えた。

 

それを聞いた深草少将は毎日通い

続け、小野小町は、カヤの実を糸で繋ぎ、

日数を数えた。

 

ところが99日目に、深草少将は疲労が

ピークになり、小町の元へ向かう途中で

道中で倒れ亡くなってしまった。

 

罪悪感にかられた小町は、

全ての求愛を断り、各地を放浪した。

 

数十年後、高野山の僧が卒塔婆の上に

腰掛けている老婆を見かけた。

 

その老婆は小野小町で、

深草少将の怨霊が取り憑いでいた。

 

その時の姿をうつしたのが

小野小町百歳像

 

百人一首では、

虚しく恋の思いにふけっている間に

私はすっかりこんな容貌に

なってしまったと言うような句を

残している。

 

像は絶世の美女が辿った

諸行無常を伝えている。

 

 

 

1位 もう1つのビリケン像(兵庫県・松尾稲荷神社)

 

神戸市にある松尾稲荷神社の本殿裏の

一画に、つり目に大きく笑ったような口

ビリケン大黒様。

 

大阪のものとよく似ているが、右手に小槌

左手に宝珠を持って俵に鎮座している。

 

 

1908年にアメリカのミズーリ州の美術教師が、

コンテストに出品するために作った像が

ビリケンの誕生だった。

 

優勝を飾り販売会社の手に渡り、

販売から半年で20万体を売り上げた。

 

日本でもブームになる中、

客足が伸びずに悩んでいた洋食店の店主が

ビリケン様と大黒様の融合を考えたものが

その像であった。

 

店頭に置くと連日満員になったが、

客が入りづらくなり神社に預けると、

参拝者がどんどん増え、

煙となでる人の手によって

真っ黒になったが

福の神として神格化された。