今回は4月11日放送の

マツコの知らない世界

ラジオの世界

を振り返って

みたいと思います。

 

 

小学4年生から

ラジオを支えに

生きてきた歌手として

aikoさんが登場。

 

 

が思う

ラジオの魅力

1人の時間を満たしてくれる

優しい場所

 

1人っ子でラジオが好きな

aikoさんの部屋にはテレビがなく、

ラジオだけあった。

 

優しい場所ついては、

生放送の深夜ラジオは

1人で私にだけ喋ってくれて

いるのかもしれないという

感覚になるのと、今この人、

生放送で喋っているって事は

大阪のどこかで喋って

はるねんなという安心感から。

 

主に聴いていたAMラジオは、

ABCラジオMBSで、FMは

FM大阪FM802

 

小学4年生の時、部屋に引きこもり、

サンタさんがくれたラジカセで

ラジオを聴き 寂しさを埋めていた。

 

この時にキックベースボール大会で

優勝して、お家に帰ったら、おさんが

家出していなくなってた。

 

さんはバーのマスターを

今も続けているが、夜に

仕事をしてるんで、

朝起こして学校に連れて

行くことができない状態。

 

親戚の家で育ててもらう

ことになったのだが、

親戚もスナックをやっていた。

 

2階で木綿のハンカチーフ

甲斐バンド安奈を聴いて

覚えたのでそうです。

 

たまに、小学生の時に

歌だけ歌いに降りて、

リンゴ追分を歌った。

 

 

   

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親戚の家でサンタさんに

ラジカセが欲しい」と

お願いしたら、赤いラジカセを

サンタさんがくれて、そこから

ラジオを聴くようになった

というaikoさん。

 

そこから中学2年生の時に、

ABCラジオシティ

ミッドナイト アカペラ

というコーナーで、

おかげ様ブラザーズ

きんた・ミーノさんの

ラジオで電話越しに

人生初の歌唱を披露。

 

カイリ―・ミノーグ

I Should Be so Luckyで、

カタカナで一生懸命覚えたり、

竹内まりやさんの恋の嵐を歌う。

 

勝ち抜いて優勝したが、

アナウンサーとボウリングを

やったりするだけで、

歌手デビューなどの声が

掛かることはなかったようだ。

 

高校の時はバンドやったりして、

卒業後に「TEENS’ MUSIC FESTIVAL

で優勝し、FM大阪のプロデューサーに

ラジオ局に遊びに来ない?」と、

声をかけられる。

 

ラジオが好きだったので、

見学しに行ったら、

ラジオDJのオーディションだった。

 

短大時代には

COUNT DOWN KANSAI TOP 40」で

DJデビュー、鉄砲玉として育てられる。

 

その後、デビューが決定。

 

 

   

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デビューシングルは

1998年に発売されたあした

 

この曲をFM大阪でパワープレイに

していただいて、大阪でだけ

ちょっと売れた。

 

1999年に発売された

3枚目のシングル花火

初のオリコントップ10入り。

 

 

ラジオが日本で初めて放送されたのは、

1925年で、東京放送局(現NHK)

東京高等工藝学内 仮スタジオから。

 

以降、情報伝達と娯楽の王様として、

一般家庭で楽しまれてきたが、

1960年に一般家庭にテレビが

普及すると、徐々に地位は低下した。

 

そんなラジオが今、

空前のブームを

迎えているという。

 

それは、ラジオアプリなどの

普及により、パソコンやスマホから

全国のラジオがいつでも聴けるように

なると、若者を中心にラジオユーザー

数が上昇した。

 

結婚発表をラジオでするなど、

SNSでトレンド入りすることも!

 

 

 

 

誠のサイキック青年団で、

芸能界の闇を知った。

 

Mラジ Music Treasures

深夜帯で、毎回1組の

アーティストの楽曲を流す

音楽番組で、スタッフ

音楽愛をめちゃくちゃ

感じるそうだ。

 

aikoさんの特集もあったそうで、

曲順はオリジナルのセットリスト。

 

いろんなことを思い出し過ぎて、

闇落ちしたという。

 

 

 

 

カブトムシとか有名なのは

ないんですね、いろんな

アーティストの聴くと

面白そうですね。

 

 

   

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