今回は10月21日放送の

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

衛星写真を拡大すると見えてくる

山奥にある一軒家を調査する番組で

埼玉県のポツンと一軒家は、

家までの道路はしっかりしていて、

広く開拓した敷地青屋根の建物が2棟

グランドのような場所もある。

 

周辺の住民に聞き込みを行うと、

ご近所さんの元の家が

ポツンと一軒家

だという事と住人が

イデウラさんであるという

情報を入手し、家まで案内

してもえらっていた。

 

イデウラさんの現在宅へ行ってみると

丁度、イデウラサダイエさんが山の

一軒家に行く所で一緒に現地へ向かった。

 

県道から脇道に入ると、道幅の狭い

山道になり、路面が未舗装になっていく。

 

前を走っていたサダイエさんの車を

見失ったが20分後、山道の終点で

待っていてくれて合流。

 

そこから5分歩いた所に家があった。

 

 

 

 

築150年 平屋の古民家があったが、

なぜここへ?

 

そこには、サダイエさんのお父さんで

ポツンと一軒家の主 キヨヘイさん

93歳が住んでいた。

 

元々、この山の一軒家で生まれ育った

というキヨヘイさんは、両親

5人で暮らしていたが、昔はお蚕

飼っていたという。

 

イデウラ家は先祖代々養蚕業

生糸を採っていた。

 

土間の奥には10畳の和室が

ニ間続いていて、今はお座敷に

なっているが、昔はお蚕を飼って

並べていた所で飼わなくなってから

お座敷になったと教えてもらう。

 

キヨヒラさんによると、昔は皆 自分の

母屋でお蚕を飼ったりしたからお蚕

大きくなる頃にはお蚕に座敷を

取られちゃう感じだったという。

 

 

   

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かつては、8軒の養蚕農家が建つ

集落だったが、今も残っているのは

イデウラ家だけで皆、いなくなり

家も残っていなかった。

 

キヨヘイさんも24歳で結婚を機に

麓の集落に移住したが、30年前まで

養蚕業を続けていたという。

 

20年前にさんを亡くし、

現在は麓の家で長男夫婦と同居

しているそうだ。

 

 

今も毎日、山の一軒家を訪れる理由は、

元々兼業農家で今も農家を続けているから。

 

10種類の野菜や果物を育て、

道の駅などで販売しているのだとか。

 

畑が坂で機械が使えず、93歳になった

今でも急な斜面で畑仕事を行い、

サダイチさんも仕事の間に父親を

手伝っているそうです。

 

育つ張り合い収穫

作物を世話して嬉しいと

キヨヘイさんはいう。

 

ポツンと一軒家では、

水道が引かれておらず、

井戸水が生活用水で、

電気も引いてないから

発電機で灯かりをとるという。

 

電気がないから明治時代から

ずっとオイルランプで生活して、

昭和50年近くになって発電機を導入。

 

ガスも来ていないので

お湯を沸かすのは、

薪ストーブだった。

 

母屋の東にある古い建物では、

30羽の鶏を飼っており、

産んだ玉子をとるのも日課

になっているという。

 

 

   

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この土地では、かつて

悲しい出来事があったという。

 

それは明治17年に起きた

秩父事件で映画にもなった。

 

 

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その辺りでは明治政府が生糸の

生産を推奨し、農民は多額の

借金をして養蚕業に従事したが

生糸の価格が暴落し、困窮した

農民が武装蜂起した。

 

事件の前の粟野山では農民たちが集まり、

武装蜂起を決めた場所だったという。

 

よほどのことがなければ

決起する事は出来なかった。

 

 

キヨヘイさんは、自分が生まれた

所だからいい所だと思う

 

1つの誇り、たとえ辺ぴな所でも

と、この土地についての思いを語った。

 

 

 

   

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