今回は8月1日放送の

ビーバップ!ハイヒール

戦国武将が求めていたものは

お金だった?

有名武将の驚愕のマネー戦略

の回を振り返って

みたいと思います。

 

戦国武将はお金集めに必死だったそうで

当時、京都や大阪にまで勢力をあげていた

織田信長は日本一の商業都市の堺や

裕福な寺院から多額の税金を徴収。

 

この時、集めていたお金は

ある金額と合致していた!?

 

それはこの直前、足利義明

将軍に擁立する為、京都に

攻め入った際の戦の費用。

 

戦をするというのは裏で

優秀な武将や兵士を雇う給料や

その食費、刀・鎧・鉄砲、

攻め落とした城の補修費など

莫大な費用が掛かっている。

 

何をするにもお金が必要となり、

戦国武将の力とは、資金力!

 

英雄信長も今でいう資金繰りに悩む

ベンチャー企業の若手経営者のような

ものだったという。

 

戦国武将のお金のやり繰りは、

現代にも通づるものがあるそうで

豊臣秀吉信長の部下時代に

経費削減という大きな力を発揮。

 

1581年、秀吉はある秘策により

鳥取城の兵糧攻めを4ヶ月に短縮

に成功していた。

 

その秘策とは、鳥取の城下町に秀吉

忍び込ませた商人によって鳥取城の

米を買い占めた。

 

この時に掛かった経費は、

およそ20,000,000円。

 

そのおかげでいざ秀吉が攻め込むと、

米のない鳥取城はすぐに陥落、

これにより秀吉は戦の期間を

1年8ケ月も短縮させ、仮に2万人の兵で

計算すると、約300億円の経費削減が

できたのだそうだ。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

そんな戦国武将たちの

マネー術を教えてくれるのは、

歴史作家 橋場日月さん。

 

 

戦国武将に学ぶ「必勝マネー術」 (講談社+α新書)
講談社 (2019-05-22)
売り上げランキング: 36,453

 

 

独自の目線で新解釈をあみだした

著書が話題になっているそうです。

 

橋場さんによるとお金に翻弄されていたのは、

現代人戦国武将も実は同じで、「お金」

観点から見てみると、戦国武将のまた違った

一面が見えてくるという。

 

 

 

戦国時代の徳川家康は、250万石の

大大名でありながら、戦国一のドケチ

として知られていたという。

 

食事は粗末な麦飯で、服も質素。

 

下着も買い換えなかった。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

家康が天下人になれた理由は…。

 

豊臣秀吉が天下人だった1595年に

秀吉の甥である豊臣秀次が謀反の

疑いで切腹させられる事件が発生した。

 

そんな中、焦って家康を訪ねたのが

18万石の大名 細川忠興の家臣

 

細川忠興秀次より黄金100枚を借りていて、

一刻も早く借金を返し、関係を絶たねば

忠興は、秀次の仲間とみなされ切腹に

なってしまうので、金子数枚だけでも

貸してもらえないかと家康に相談。

 

すると家康は、黄金100枚=約2億円

を差し出し、返済は無用だと言って

その代わりの条件を提示した。

 

この時の恩を忘れていなかった

細川忠興は、1600年の関ケ原の戦いで

先陣をきって徳川方について

勝利を決定づけていた。

 

普段ケチケチして貯めたお金を、

いざという時に助けてもらうよう

有力な武将に恩を着せるために使わなかった。

 

ドケチの買収戦略があったからこそ、

天下を取る事が出来た。

 

 

   

Sponsored Links