今回は

チコちゃんに叱られる!

Don’t sleep through life!

を振り返ってみたいと

思いますので

宜しくお願い致します。

 

 

 

何も考えないで、

のほほんと暮していると

チコちゃんに叱られますよ。

 

 

なぜ七夕の日に願い事をする?

 

手芸が上手になりたかったから

 

詳しく教えて下さるのは

和歌や日本の文化にくわしい

同志社女子大学

吉海直人名誉教授。

 

吉海先生によると、

七夕というのは中国の古い

牽牛織女の物語

もとになっている。

 

日本ではそれを彦星

織姫という形で

伝わっている。

 

牽牛と織女の物語は、

天空で一番偉い神様

天帝」には「織女

というがいました。

 

手先が器用だった織女は、

天の川のほとりで毎日、

熱心に機を織っていました。

 

ある日、織女は牛飼いの

青年「牽牛」と出会い、

恋に落ちる。

 

天帝は働き者の織女

牽牛に嫁ぐことを許した。

 

ところが、嫁いだ後に

織女が機織りをやめてしまう。

 

これに天帝は激怒し、

2人を天の川の両岸に

引き離してしまいました。

 

天帝は年に1度だけ、

7月7日に会うことを許した。

 

 

吉海先生によると、

7月7日には織女

逢瀬を持つっていうことで、

年中行事として取り込まれて

いったといわれている。

 

 

   

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古代中国の風俗などを

著した著物「荊楚時記」

には、7月7日の行事の

様子が記されている。

 

 

吉海先生によると、

7月7日には織女

針仕事とか手芸などの

上達を祈る行事として

行われていた。

 

 

もともと中国で行われていた

七夕は、機織りが得意だった

織女にあやかって、女性たちが

手芸の上達を願う行事だった。

 

そして、この行事は

乞巧奠」と呼ばれました。

 

乞=願う

巧=すぐれた手芸の技術

奠=祭

 

技術がすぐれるように

願うお祭りという意味。

 

 

吉海先生によると、

日本に伝わってから

日本に適するような形で

乞巧奠が日本化していった。

 

乞巧奠は奈良時代に伝わり、

宮中や貴族に広まる。

 

宮中の行事となると、

天皇を中心とした

男性貴族たちの行事に

なりますから、

そうすると男性主体の

音楽とか、漢詩とか、

和歌とか、そういう方向で

行事化されていく。

 

中国では女性が手芸の

上達を願っていた

乞巧奠が日本の宮中では、

男性が和歌などの芸事の

上達を願うという行事に

変化しました。

 

そして、貴族は和歌を主に

短冊にしたためました。

 

短冊に歌を書くっていう

ところから、短冊に願い事を

書くという方向に

いったということ。

 

江戸時代っていうのが

日本の年中行事の

大きな転換期。

 

 

   

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徳川幕府は権威を示すため、

それまで宮中でのみ行われていた

「五節句」という公式な行事

として定め、世に広めた。

 

1月7日 人日(じんじつ)

3月3日 上巳(じょうみ)

5月5日 端午(たんご)

7月7日 七夕(しちせき)

9月9日 重陽(ちょうよう)

出典:ColBase

 

 

とくに江戸時代になると、

寺子屋というのが日本に

広がっていく。

 

そうすると、短冊に

字が上手になりますように

というお願いが、寺子屋に

集まった子どもたちによって、

始められるということ。

 

7月7日に織女に託していた

願い事は、手芸から芸事、

そして、書道へと

変化していった。

 

神社仏閣も昔は、

これに効くとか、

これをかなえてくれる

っていうのが

多かったんですけど、

今はどこ行っても

なんでもOKみたいに

なっているという。

 

 

   

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