今回は3月4日放送の

奇跡体験!アンビリバボー

芸人アンビリバボーSP

を振り返ってみたいと思います。

 

 

 

苦し紛れにはなった一言で

爆発的人気者となった芸人とは?

 

生まれながらに心臓の病を持ち、

医師から手術しないと、二十歳まで

しか生きられないと宣告されていた。

 

そんなを支えたのは、

「人を笑わせたい」という思いだった。

 

そのきっかけは、家族で見に行った

お笑いの舞台でのこと。

 

一緒にやって見たい人と聞かれた際

手を挙げると、芸人にいざなわれて

トランポリンで跳ねることになる。

 

その時、大失敗してしまったが

会場中は大爆笑。

 

当時、7歳だった少年

笑いを取る快感にはまり、

お笑いに目覚める。

 

小学3年生の時に手術を受けて、

心臓病を克服し、将来は

漫才師になると決意する。

 

小学校の文集に書いた芸名は、

うんち太郎とべんき太郎

 

 

二十歳になると、名古屋にある

吉本笑い養成所に入所するもウケない。

 

それでも、お笑いを諦めずに上京し、

様々なキャラクターに挑戦もした。

 

芸歴18年目を迎えた37歳の時、

人生が変わるアンビリーバボーな

瞬間が訪れる。

 

 

ネタをするも会場は静まり、

追い込まれた

「ワイルドだろぉ?」

と、言って笑いを取ったのが

スギちゃん

 

ピン芸人日本一を決める大会、

R-1グランプリ2012では

準優勝を果たした。

 

 

   

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ダンディ坂野は2008年に、

とある幼稚園に番組ロケで訪れた。

 

芸人としての意地をみせるため、

「ゲッツ!」をすると、園児から

「それってラミレスのマネじゃん」

と、言われ落ち込んだそうだ。

 

 

当時、プロ野球選手

アレックス・ラミレスは、

ホームランを打った時、

「ゲッツ!」のパフォーマンスで

人気だったという。

 

そのネタ元はダンディだが、

お笑いに興味津々だったラミレス

ダンディが自身のネタDVDを送り、

それをみたラミレスが気に入って

パフォーマンスに取り入れていた。

 

 

 

天津木村さん、父の初男さんが

詩吟の師範として教室を開いており、

木村さんも9歳の頃、の流派に

入門し、厳しい指導を受けたという。

 

その結果、師範代の資格を取得。

 

この経験がエロ詩吟 誕生の

きっかけになった。

 

厳格なにエロ詩吟の事を

打ち明けられずにいたが、

の耳にも入ってしまう。

 

覚悟していたエロへの

お咎めはなかった木村さんだが…

 

 

   

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詩吟には、数百以上の流派があるそうで

下ネタをよく思わない他の流派から

クレームが届くようになる。

 

そんな事態を重く見た流派の家元が、

の元にやって来て、息子のエロ詩吟を

辞めさせるように言われる。

 

するとは、息子がやっと掴んだ

チャンスを潰す親が何処にいる?と、

息子の為にが流派を辞めて、

詩吟界から身を引いたという。

 

 

 

一発芸人あるある

 

・海外なのに現地集合 現地解散

 

海外ロケへ向かおうとしていたが、

同行者はいない。

 

・スタッフの忘れものを運ばされる

 

防寒着の入った紙袋を渡されるが、

想定外に重い。

 

中を見てみると、防寒着の下に

撮影機材がw

 

・子供に正体を明かせない

 

自分が「一発屋芸人の娘

だって知ったら辛い。