今回は10月3日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
建物が密集
少し離れて青い屋根が
衛星写真で見つけた岩手県の
太平洋側の山の谷間にある
ポツンと一軒家を目指し
最寄りの集落から捜索開始。
最寄りの集落に到着すると、
犬を散歩させているお母さんを
発見し、衛星写真をみてもらう。
お母さんによると、ポツンと一軒家に
住んでいるのは年齢は80歳位だという
シラハマさん。
最近、奥さんが亡くなったという
話しを聞いたそうだが、今も
その家に住んでいるかどうかなど
詳しい事はよくわからないという。
捜索再開。
すぐ近くにいた次のお母さん情報で、
射撃場を営んでいるらしい事が分かった。
ポツンと一軒家に到着。
ポツンと一軒家のあるじは
シラハマタスクさん87歳。
退所5年に祖父が土地を購入。
昔は農業が主、
それから炭焼いた。
23haの土地を所有。
祖父がここを買った時は
釜石で古物商して購入。
仕事はいろんなことを
やっていたというタスクさん。
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木馬(きんま)という伐採した木材を
山から運び下ろす木製のソリで、
むかし木材運搬用の馬や牛が
通れる道がない山で、丸太を並べて
造った木馬道に木材を積んだ木馬を載せ、
それを人が引っ張って滑らせて
運んでいたのだそう。
木馬は主に、炭焼してる人たちが
炭窯に薪を運ぶ時に使っている。
1880年に日本初の近代製鉄所となる
釜石製鐵所が開始した。
その燃料として大量の木炭が必要になり、
当時 シラハマ家の周辺の山にはいくつもの
炭焼き窯があったようだ。
10人兄弟の長男として、祖父の代からの
この土地を継承したタスクさん。
子どもはなく、奥さんも亡くなり、
現在は一人暮らし。
昔は家業の農家や炭焼を手伝っていたが、
30代で特殊な仕事をしていた。
それは、鹿猟の案内。
今は少なくなったけど、
前は鹿がいっぱいいて
お客さんを鹿猟の山に
案内して撃たせていたという。
茨城とか埼玉から来た人たちが
お金を出して鹿供養之碑を造った。
ここに来る途中の脇道に建っていた
鹿の供養塔は1982年に鹿猟の有志で建立。
30歳代で鹿猟の案内人を始めた
タスクさんはその後、猟の案内に加え、
母家の隣に長屋風の建物を建てて、
新たな仕事を始めた。
9年位前まで使用していた宿泊所、
そこでは20人の宿泊が可能で、
朝5時に鹿猟に出発していた。
しかし、10年前に起きた
東日本大震災後、狩猟客が皆無に。
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50代で射撃場を経営した
タスクさんは、家から少し離れた
青い屋根ではじめた。
鹿の有害駆除をやる人たちが
練習するために造ったが、
今は津波があって景気も悪いから
撃つ人は少ない。
今から40年近く前にタスクさんが
50歳の時に、もともと畑だった
広い土地を利用し、5人並んで
同時に射撃が可能。
ここは、射撃手の目の前から
標的となるクレーが飛び出す
トラップと呼ばれる種目が
行われる射撃場。
今はタスクさんが一人で
住んでいるのは母屋。
奥さんは今年の5月に
亡くなられた。
それはタスクさんの所に来て、
10年しか経っていない。
2人で暮しはじめたのは10年前で、
正式に婚姻届けを出したのは4年前。
タスクさんが27,28歳位の時、
2人はお見合いして1年付き合っていた。
ところが、タスクさんは八丈島に
仕事に行く事になり、帰ってくると
奥さんも仕事で東京に行き、
結婚したために岩手には
戻ってこなかった。
でも、津波になった時に
奥さんから電話が掛かってきた。
50年ぶりに連絡が入り、
付き合い始めた2人は結婚。
タスクさんは毎日、話をする人が
いないから話をするために、
奥さんの写真を近くに置いている。
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