今回は5月10日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

衛星写真で見つけた大分県初の

ポツンと一軒家を目指し

最寄りの集落から捜索を開始した。

 

 

前回分

 

 

トシコおばあちゃんがミウラ家に

嫁いだのは、昭和21年。

 

19歳の時に親戚の紹介で知り合った

9歳上のタダシさんと結婚。

 

この家で4人の子どもを育てた。

 

第2次世界大戦末期の昭和19年、

女学校に通っていた17歳の

トシコさんは女子挺身隊に動員。

 

それは戦争による労働力不足を

補う目的で、12歳~40歳の

未婚女性が国に招集され、

軍需工場などでの労働を

強制させられた。

 

昭和20年の終戦時には、

約47万人が動員されていた

といわれる。

 

トシコおばあちゃんは当時、

B-29の飛行機などの音を

聞いたりして、死を覚悟していた。

 

タダシさんが兵隊に行っていて、

昭和21年に帰ってきた。

 

終戦の翌年に結婚し、5年後に

雑貨店を開業させた。

 

20年後、小学校の廃校に伴い、

お店を閉店させ、林業と

米農業を兼業した。

 

70年近く連れ添ったタダシさんが

5年前に97歳で亡くなられた。

 

 

   

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子どもが大きくなってから

夫婦でよく旅行に出掛けた。

 

5年前から広い家に1人暮らし。

 

もうすぐ93歳になる

トシコおばあちゃんは、

朝昼晩の食事の支度や

掃除・洗濯などの全ての家事を

誰の手を借りることなく、1人でこなす。

 

 

今はもう踊らないという扇子踊りを

トシコおばあちゃんにみせてもらう。

 

扇子踊りというのは昔の地踊りで、

26年前に皆で保存会を作ろうと

作ったのが白山扇子踊り保存会

だという。

 

白山扇子踊りは、祭りで知り合った

若い男女の恋物語が元になったと言われる。

 

口説き(歌い手)と太鼓に合わせて、

扇子を持って円になった踊るそうだが、

祭りの時には1時間続けて踊ることも。

 

調子が良くなってきたという

トシコおばあちゃんは、

左衛門とよばれる手ぬぐいを

持って踊る地踊りも披露してくれた。

 

 

   

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最初の捜索で話を聞いた時、

もう1軒ポツンと一軒家

あるという情報を得ていた。

 

そこには、アンドウカズコさん

という80代のおばあちゃんが

一人で暮しているというもの。

 

衛星写真で確認してみると

ミウラ家から山を2つ越えた

先に家が建っていた。

 

そしてまた、オノさん夫婦

案内役になってくれた。

 

崖っぷちの路面が割れた

細い道をどんどん奥へ!

 

細い山道を走ること20分、

ポツンと一軒家に到着。

 

 

 

 

ポツンと一軒家

アンドウカズコさん84歳

 

13年前にご主人を亡くしてから、

この山奥のポツンと一軒家

ずっと一人で暮している。

 

3年前の大雨の影響で裏山が崩落し、

外壁が1.5mの高さまで、土砂で

埋まってしまった箇所があった。

 

代々この土地で椎茸農家を

営んでいたアンドウ家。

 

昭和48年にカズコさんが

37歳の時、親戚の紹介で

10歳年上のタカシさんと結婚。

 

夫婦で家業の椎茸栽培を継承。

 

カズコさんの娘さんが、

お腹に入っている時の

昭和50年にこの家を建てた。

 

さんは15年前に結婚し、

麓の町に嫁いだ。

 

その2年後、が他界。

 

は生前、神楽を舞っていた。

 

神楽とは、五穀豊穣祈願など、

神道の神事において神に

奉納するために奏される歌舞。

 

は、神楽面を

大切に保管していた。

 

そのお面は手づくり。

 

12個くらい作られていたそうで、

2つ以外は寄付したという。

 

太鼓も皮以外は

手づくりしていた。

 

酒も飲まず、賭け事も

一切やらず、独学で

神楽の面や太鼓作りをした。

 

真面目過ぎて、気難しい面も

あったタカシさんは、神楽に

没頭し、仲間との関係が

ギクシャクしたこともあった。

 

82歳で亡くなる直前まで

演奏していたという。

 

 

   

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