今回は4月11日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

大きな建物が1棟

小さな建物が数棟

整備された田畑

道路は確認できる

衛星写真で見つけた島根県の

ほぼ真ん中にある

ポツンと一軒家を目指し

3㎞離れた集落から捜索を開始。

 

 

左側に家が何軒も建っている

集落に到着。

 

その集落で畑の作業をされている

さんに道を伺う。

 

そのおさんは島根県が

開発したあすっこ

収穫していた。

 

あすっことは、

ブロッコリーとビタミン菜を

交配させた島根県特産野菜。

 

林修先生は、ポツンと一軒家

住人が作っているのではないかと

予想していた。

 

衛星写真を確認してもらうと、

ポツンと一軒家を知っていた。

 

それはやまべさんの家だと言うが、

今は都会に出られていて、

年に3~4回くらい草刈りやらで

ちょっと帰ってくるぐらいだという。

 

だが、おさんによると

やまべさん以外にも、

ポツンと一軒家があるという。

 

やまべさんの家から約1㎞先に

3軒だけの集落があり、そこから

南へさらに1㎞ほど離れた所に

確かにポツンと一軒家があった。

 

そのポツンと一軒家あるじは、

やまもとみつぐさん73歳。

 

10年程前にUターンで東京から戻り、

夫婦2人で暮しているという。

 

 

捜索再開し、

ポツンと一軒家に辿り着く。

 

 

 

 

   

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ポツンと一軒家あるじ

やまもとみつぐさん73歳

 

大学進学を機に実家を離れて、

大学卒業後にジャスコに入社。

 

始めは三重県四日市の本店に勤務、

そこで今のさんと出会って

入社3年後のみつぐさんが

25歳の時に結婚した。

 

その後、転勤で日本各地を

巡る生活の中、2人が誕生。

 

帰郷前までは千葉県の幕張で生活し、

定年退職して娘2人も独立。

 

12年前に島根県の実家に移住。

 

32年前に親が他界した後、

20年間親が一人暮らし。

 

親の世話をするために実家へ。

 

戻ってくる前の5、6年は

親の遠距離介護に

片道9時間かけて通う。

 

最寄りの駅から車で1時間以上かかる

島根県の山奥に建つポツンと一軒家

の死後も住み続けているのには理由が!

 

みつぐさんは中学校1年生の時に、

この家に親戚から養子に来た。

 

本当の兄弟は5人で、西島家の

次男だったが、ここでは1人なので

の希望としては

跡を継いでほしかった。

 

農家の次男は冷や飯食いい、

次男は継ぐ家がないので

男性が居ない家のお婿さんに

行く感じで、自分で遠い親戚

家に行く意思決定をされた。

 

 

   

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やまもと家では夏に田んぼを作り、

冬は炭焼をしていたという。

 

ポツンと一軒家は築65年位で、

杉の梁だったり、柱の木は

全て栗の木。

 

栗の木は、虫にやられにくい!

 

 

捜索隊が走行してきた舗装道路が

出来たのは35年前で、それまでは

森を抜けて、谷沿いに続く約5㎞の山道が

麓の集落と行き来する唯一の

ライフラインだったそうだ。

 

大変な思いをして建てたこの家は、

子どもの居なかった養父母

みつぐさんを養子として迎える

ために建築したもの。

 

趣味で始めた椎茸栽培が、

今ではクヌギの原木を

約360本使い育てている。

 

生椎茸を15㎞離れた隣町の

産直市場へ出荷して、

家計の足しにしている。

 

 

誰もいないポツンと一軒家

終わりの住処にするという

人生の選択をした

やまもとさん夫婦

 

みつぐさんは養子に来てるから

最後はここへ帰らないといけない。

 

みつぐさんの父は勉強をしたかったが、

貧乏で進学出来なかったので、

みつぐさんが大学に行きたがったら

行かせてあげて欲しいという条件付きで、

親は養子に出していたという。

 

大学進学の願いを叶えてくれた

育ての親の恩に報いるため、

今度は自分が家を守って欲しいという

兩父母の願いを叶えている。

 

 

   

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