今回は3月22日放送の
ウソかホントかわからない
やりすぎ都市伝説
やりすぎ都市伝説2024春
~やりすぎ都市電鉄・常磐線編~
の回を振り返って
みたいと思います。
こちらの穴は、
別の目的でも掘られた。
その不思議な穴は
偕楽園内だけでなく、
周辺にも残っている。
いくつもの穴が
掘られた秘密とは?
穴は水戸城から向かって
南に造られている。
水戸城から北には仙台藩主
伊達政宗の家がある。
北から攻めてくる
伊達政宗から逃れるため、
地下で繋がっていたとも
言われている。
水戸藩の赤沼牢屋敷から、
処刑された罪人達の
首なしの遺体が大量に
運び込まれ埋葬された
この世の地獄のような
場所がある。
そこにあるさかえばしは
昔、地獄橋と呼ばれて
いたのだそう。
一見、なんの変哲もない
一帯だが、江戸時代は
惨劇の舞台だった。
ちょっと土が盛り上がった
場所から当時、処刑される
罪人や首のない胴体などに
刀剣で試し斬りした。
そういう試し斬りなどをする
場所、土壇が江戸時代では
各地に作られていた。
ドタキャンは
土壇場でキャンセル、
ギリギリでキャンセル、
この意味から作られた造語?
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当時は斬首刑という
残忍な処刑方法で裁きを
下していたが、斬首されて
罪を償った罪人が極楽に
行けるように、地獄橋の川から
下っていくと、その先に
あるのは極楽橋。
処刑された罪人たちも
ここから極楽へ
旅立ったのかも。
水戸藩も支配した
茨城県ひたちなか市にある
都市伝説「千々乱風」。
江戸時代、75日間の大風で
3つの村が消えた。
1988年からの発掘調査では、
87体の人骨や家屋内に
あったであろう道具類も
見つかった。
地元では、千々乱風伝説
として語り継がれている。
その千々乱風は現在の
痛みを飛ばすおまじない
治療的呪語「ちちんぷいぷい
ちちんぷいぷい 痛いの
痛いの 飛んでいけ」。
その語源だとも言われている。
第3代将軍 徳川家光は
よく泣き、病弱だった。
育てた乳母 春日局が
「知仁武勇 御用の御宝」
という言葉をかけてあやした。
知(知性) 仁(優しさ)
武(武力) 勇(勇ましさ)
あなたは全てを兼ね備えた人
どうか泣かないでおくれ
という意味を込めて
知仁武勇 ちちんぷいぷい
の語源になったかも。
痛いの痛いの 飛んでいけ、
それを運ぶのは暴風、
千々乱風。
痛みを飛ばす風
といった意味では、
千々乱風の方が
しっくりくるのでは?
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大甕駅の大甕の由来は、
創建紀元前660年の
大甕神社。
大甕とは
神と人の住む境界として、
大きな甕が埋められて
いたことが由来。
ご祭神は
日本神話最強といわれる
タケハヅチノミコト、
ミカボシカガセオ。
日本神話最強と言われる
鹿島と香取の神様を倒した
ミカボシカガセオを
祀っている。
2つの神様を
祀っているのが山全体、
宿魂石とよんでいる。
星の神
ミカボシカガセオと
織物の神
タケハヅチノミコトを
石に鎮めた。
それが、宿魂石。
頂上に本殿がある。
宮司の朝日さんから
鹿島神宮と香取神宮との
因縁の都市伝説について聞く。
大体の神社っていうのは
東か南向き、太陽が出る方向に
向いているが、鹿島神宮の
お社だけは北向き。
その先には大甕神社
ミカボシカガセオの方を
見張っている。
香取神宮では毎年1月に
星鎮祭といって、
ミカボシカガセオを
鎮める祭りを続けている。
無数のお札が貼られる境界石、
くぐることで悪縁を断つ
京都の安井金比羅宮の
縁切り縁結び石碑とも類似する。
ここから北上するあばれる君に
宮司が勧めるワケは、
大甕の地は関東平野が終わって
阿武隈山脈をはじまっていく
丁度入り口にあたる。
昔はここから北は未知の国、
神様がいらっしゃる
清らかな場所だったという
言い伝えがある。
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