今回は2月22日放送の

ビーバップ!ハイヒール

では、がんばれニッポン!

世界が愛した日本人SP

が放送され、世界が愛した

日本人シリーズを振り返って

おりましたので、振り返りを

振り返ります。

 

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

ウズベキスタンで有名な建物は、

ナヴォイ劇場は中央アジアで

最も格式が高い劇場として

知られ、日本とウズベキスタンを

結ぶドラマがあったという。

 

1945年に日本は敗戦、

ソ連軍は日本人を捕虜にし、

ウズベキスタンの労働施設へ

送り込んだ。

 

日本人捕虜に与えられた

任務は劇場建築をさせられ、

過酷不衛生な環境で

食事も半分腐ったジャガイモ

骨ばかりの羊肉

小麦だけの日もあったという。

 

諦めかけていた隊員に、隊長は、

我々は今まで戦争で多くの

街を破壊してきた。

 

今度は誰かの為に、

新しいものをつくろう。

 

いいか、日本人としての誇りを

持ってこの場所に世界一の

劇場を造ってみせよう!

と教えられ、ひたすら

働いていた。

 

すると、地元の子ども

パン果物を差し入れが

あった。

 

そんな地元の子ども

手作りのおもちゃを作った。

 

強制労働で疲れきったで、

日本人は受けた恩に対して

精一杯の感謝を伝えた。

 

しかし、栄養失調過労

誰かが倒れ、犠牲者が

後を絶たなかった。

 

 

2年後に過酷な労働条件の中、

館内の繊細な彫刻などで

こだわり貫いた

ナヴォイ劇場が完成。

 

関わった日本人捕虜は500人、

79人が建設中に亡くなった。

 

 

 

 

完成から20年後の1966年、

ウズベキスタン

マグニチュード8の大地震

が起こった。

 

街の建物が崩壊する中、

変わらぬ姿の無傷の

ナヴォイ劇場

そこにあった。

 

 

日本人の仕事に敬意を評し、

1991年にウズベキスタン独立

した時に、劇場内に日本人を

称えるプレートを掲げた。

 

その際、ウズベキスタン

カリモフ初代大統領は、

彼らは恩人だ。

間違っても捕虜など

と書くなと指示したという。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

強制労働で亡くなった

日本人達は、ウズベキスタン

地に眠り、故郷に帰る事の

出来なかった彼らのために

墓地の周りに多くの桜の木

が植えられた。

 

 

ウズベキスタンの女性は、

生まれてきた子どもに

日本人は、戦いに敗れても

誇りを失うことなく、

真面目に働いて立派な

仕事をしたのよ、

あなたも日本人のように

なりなさいと教えている。

 

 

 

イースター島には、

世界遺産のモアイ像

およそ1000体あり、

モアイ=未来へ生きる

という意味だそうだ。

 

古いものは1000年以上前

からあり、何の為につくられたか

未だにわかっていない。

 

 

20数年前、ほとんどの

モアイは倒れていていた。

 

それは、部族間抗争

風化大地震による為。

 

日本のテレビでも悲惨な

モアイが紹介された。

 

 

モアイ像を、

もう一度立たせたい。

 

クレーンさえあれば、

倒れたモアイ像が起こせる。

 

というのを、

高木啓行さんが見た。

 

 

香川県に本社を構える会社

TADANOの社員。

 

クレーンメーカー タダノは、

日本で初めて油圧式

トラッククレーンを開発した。

 

うちのクレーンでモアイを

立て直そうと計画した。

 

多田野社長も、

やってみようと承諾し、

修復プロジェクトが

スタートした。

 

ところが、イースター島

どこにあるのかもわからず、

図書館で勉強すると、

島までクレーンを運ぶには

船で一ヶ月以上も掛かる

事を知った。

 

そして、小さな漁港しかなく、

大型船も入れないため、

クレーンが運べず・・・。

 

 

諦めきれずに、

チリ大使館へ直談判すると

チリが全面的に協力

してくれる事に!

 

 

チリ海軍の舟艇に合わせて

クレーンを改造するなど、

費用が多く掛かり、日本政府

からの費用協力を断念。

 

社長に費用が1億8000万円

くらい掛かることを伝えると、

困り果てるも会社で全額

負担することを決めたという。

 

 

そしてレプリカを使って

モアイを立てる練習も

繰り返した。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

1992年の9月に

イースター島に

クレーンが上陸。

 

モアイの修復などを

重ね、1993年の8月に

モアイの設置が開始されたが、

高木さんは別の仕事を入れて

しまい、立ち会えなかった。