今回は、7月28日放送された、
ザ!世界仰天ニュース
クスリの溺れたスーパースター
を振り返っていきたいと
思いますので宜しく
お願いいたします。
2016年2月2日 東京
その日の夕方、薬物に溺れた
かつてのスーパースター
清原和博氏は夜8時半頃、
薬物を捨てようとしていた。
いろいろな手続きが終わった
午後10時37分 覚醒剤取締法違反で
現行犯逮捕された清原氏のニュースは
日本中に衝撃を与えた。
逮捕から4年、執行猶予があけた。
逮捕された時の思い
清原氏は、本当に薬物を使用して
パッと気持ちが上がるが、反動が
ガッと下がって来る時があるという。
その時に、こんなもん捨てようと
思ったら警察の方がダッと入って
来られ、まだ半分効いている状態。
現実なのか幻覚なのか、よくわからない
ような感じだったそうだ。
逮捕された清原氏は、
114番と呼ばれた。
拘留2日目 薬が切れてくると、
現実を実感し、急に不安に
襲われる。
激しく後悔、この時
薬の禁断症状よりも
不安の気持ちでいっぱい
だった。
そして、取り調べの度に
手錠と腰縄を付けられと、
手錠の重さに罪の重さを
清原氏は感じた。
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清原氏の逮捕から44日後の
3月17日に保釈された。
一から出直し 必ず更生することを
決意しております
必ず人の役に立つ人間になることを
心に誓っています
という文面をメディアに流した。
自殺する可能性が高いと判断された
清原氏は、24時間体制で監視できる
病院に入院する事が保釈の条件だった。
一方でメディアは、落ちた
スーパースターを追いかけ続ける。
薬物をやめて数カ月経つと、清原氏は
朝が怖くなった。
目が覚めても起き上がる事が出来ず、
ボーッとして何をするか
考えられない。
心も体も重い、激しいうつ症状が
表れていた。
このうつ状態は、やっていた
覚醒剤の量に比例すると
言われている。
清原氏のうつ状態は重い
=覚醒剤が大量
保釈後 どんな状態だったのか?
清原氏は、外に出たくないって
気持ちだったんで、朝も昼も
分からない状況で、1日1日が
過ぎていく中で、うつ病を
患って、自分が生きてる価値が
あるのかとか、自分の存在を
消してしまいたいとか、
そんな事ばかり考えていた。
逮捕から間もなく4ヵ月という
2,016年5月31日 、清原氏に
懲役2年6ヵ月で執行猶予4年
の判決が下される。
その頃の清原氏は、毎晩
悪夢にうなされる
うつ状態も酷くなり、
毎日 死にたいと思った。
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プロ野球生活23年
西武・巨人・オリックスに在籍。
高卒ルーキーから21年連続
2桁ホームラン記録など、
野球史に残る数々の記録を
うちたててきたが、
2008年 41歳で引退。
清原氏の心にぽっかりと開いた穴、
心の喪失感を埋めるために夜の
繁華街に繰り出すようになる。
漠然とした不安を酒で埋め、
憂鬱な気持ちを吹き飛ばしていた。
そんな時、飲み屋で知り合った
男性から覚醒剤を渡された。
たった一度のつもりで、
目標を持てない自分が嫌で
自分から逃げ出したくなって
薬に手を出してしまった清原氏。
ところが、嫌な事があると
もう一回だけ、これが最後と
思いながら覚醒剤に飲み込まれる。
回数が増え、薬物が何より優先に。
友人との約束も嘘で誤魔化すようになり、
覚醒剤使用を隠すため、人との関係も
断って孤独になる。
そこからまた、薬物に頼る。
ある時、異常の量の
覚醒剤を使用する。
それは、致死量を超えた摂取
だったが、幸い清原氏の
命は助かった。
でも、週刊誌などが清原氏の
薬物疑惑を報じる。
覚醒剤の場合は、通報に関する
義務はなく、医師の裁量に委ねられる。
(麻薬・大麻などの場合には一部例外がある。)
その後も薬物をやめる事が出来ない
清原氏の元に薬物疑惑が心配で
電話してきた佐々木主浩さんにも
ウソをついていた。
そんな頃、清原氏は逮捕された。
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