今回は3月14日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
広く切り拓かれた敷地
整備された棚田?畑?
数棟の建物が密集
衛星写真で見つけた熊本県南部の
ポツンと一軒家を目指し
最寄りの集落から捜索を開始。
集落に到着する。
集落に入ってすぐに出会った
若いお母さんはポツンと一軒家と
聞いた途端、あれじゃないかと
指をさした。
心あたりがありそうだと
確認のためご近所さんの家へ。
どうやら、若いお母さん
言っていた場所で
間違いないようだ。
ポツンと一軒家に住むのは、
70歳位のナカツカさんという男性。
広い田んぼで米を育てているらしい。
でも、道中は急な坂があり、
雪で上がれないかもしれない?
捜索再開、道を上がって行くと、
ナカツカさんの家にいくため?
の私有道があった。
車を発見するも人はいない。
道の先は積雪が深いため、
捜索隊も車を停めて、歩い進む。
雪道を登り始めて10分、
鶏の鳴き声がして建物も発見。
熊本県のポツンと一軒家に
辿り着いた。
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ところが、留守のようなので
出直そうとしたその時、
男性が1人歩いてきた。
この人がポツンと一軒家のあるじ
ナカツカヨシユキさん73歳。
やはり、私有道はナカツカさん
自作の道だった。
今はみんな役所が造ってくれるけど、
昔はなかなかそうはいかなかったから、
自分で造るしかなかったという。
昭和49年に私有道を造設。
車の通れる道が出来た事で、
山の上の生活は格段に便利になったが、
私有道なので自ら道路整備を
しなければならない。
昔は麓の集落に住んでいたが、
90年前に祖父の代に山の上へ移住。
最初に建てた家は山頂付近に
あったそうだが、その家は既に取り壊し、
その跡地に田んぼに水を引くための
農業用の貯水池をつくったそうだ。
先々代の祖父が開拓し、
2軒目の家を建設。
そこでナカツカさんも生まれたが、
茅葺屋根だった生家も今はない。
父親の代まで椎茸栽培を生業とし、
家族で食べる分のお米は敷地内の
田んぼでまかなう。
今も変わらず、自分の食べるお米は
田んぼで作っているという。
母屋の隣のトタン屋根の建物は、
椎茸の乾燥小屋だった。
乾燥機は今も可動できる。
一度に200㎏の椎茸を約20㎏に
乾燥させると、天日干しより
乾燥時間を大幅に短縮できる。
日持ちもよく、熱風で乾燥させるので
旨味成分が凝縮する。
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電気式の乾燥機の向かいにも
乾燥機があるが、こちらは
人間の勘で薪で焚いて
温度調節するもの。
その頃は、ナカツカさんの父親が
寝る暇もないくらい、
火が消えないように
されていた。
最盛期には、麓の集落から毎日
4、5人の応援を呼ぶほど忙しい。
家の周りの山には椎茸を育てる
原木を並べた「ほだ場」と呼ばれる
場所が、何十個所もあったそうだ。
今は自分で食べる位を作るだけで、
椎茸栽培を家業としていたのは
両親の代までだという。
5年前に丸太で囲って造った
小屋には軍鶏が。
18歳の時に就職のために
実家を出て独立。
その時まで住んでいたのは、
茅葺屋根の家。
東京や神奈川の建設現場で就労した
ナカツカさんは33歳で熊本に戻り、
翌年に結婚した。
4人の子宝に恵まれ、親子6人で
麓の集落で生活。
椎茸の乾燥小屋と並んで建つ
平屋の家は、ナカツカさんが
家を出た後、40年前に両親が
建てて住んでいた3軒目の家。
ナカツカさんがこちらで
暮しているのは、5年くらい前。
父親が病院に入って、
母親が1人になったから
ナカツカさんが住むようになる。
ところが、4年前に母親が
骨折してしまい入院。
半年間のリハビリ後に家に戻ったが、
今度はナカツカさんが癌で入院。
母親の面倒を見る人がいなくなり、
麓のナカツカさんの家で生活
しているという。
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