今回は2月21日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

木々の中に複数の屋根が

敷地の脇を通る道が

細長く切り拓かれた土地

衛星写真で見つけた鹿児島県の

ポツンと一軒家を目指し

最寄りの集落から捜索を開始。

 

 

集落に到着すると、

いちごの直売所があったので

道を聞いてみることにする。

 

だが、その男性では分からず、

父親にも聞いてみると

電話で呼び出して来てくれたが、

詳細はわからない。

 

反対方向に迂回していく方が

安全だと、おさんが案内役に

なってくれた。

 

この辺りでつくられているという

ぴかいちごの直売所を後にする。

 

捜索再開、おさんの車の

後をついて行くと、おさんの

知り合いと遭遇し、詳細を確認。

 

すると、目指すポツンと一軒家は、

とじままさおさんの家だったそうだが、

今は空き家になっているという。

 

目指すポツンと一軒家がある前に、

もうひとつのポツンと一軒家

あるそうでそちらにも向かうが、留守。

 

目指すポツンと一軒家とじまさん

の家だと確認できたが、やはり空き家。

 

後日、再び鹿児島へ…。

 

 

   

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雪の積もった所のある

鹿児島県に到着。

 

前回、留守だった

ポツンと一軒家へ。

 

ポツンと一軒家あるじ

みぞぐちきうえもんさん83歳は、

家内が亡くなって19年位になる。

 

そこからは1人暮らしをされている。

 

みぞぐち家は亡妻の実家で、当時

跡を継ぐ男兄弟が居なかったため、

とくまる家の五男 きうえもんさんが

25歳の時の昭和37年に結婚して

みぞぐち家の婿養子に入ったそうだ。

 

代々 炭焼きと稲作をなりわいにする

兼業農家だったみぞぐち家。

 

かつては広い棚田の周りに3軒が

暮していたが、みぞぐち家以外

2軒は空き家に。

 

みぞぐち家の田んぼは、

一番上と一番下の2ヶ所を所有。

 

他の田んぼは誰も手入れする人が

いなくなり、耕作放棄地に。

 

ポツンと一軒家は築44年。

 

家を建て替える以前、裏山が崩れ、

床下に土砂が流入。

 

それは昭和47年7月豪雨と呼ばれる

大水害で、日本全国に甚大な

被害をもたらした。

 

当時 茅葺き屋根だった家が、

土砂に襲われて半壊。

 

きうえもんさん一家は突然、

住む家を失ってしまった。

 

それから1週間もしないうちに

愛知県に移住。

 

義理の両親を手伝い、稲作と

炭焼きで生計を立てていた

きうえもんさんは当時 35歳で

家を建て直すお金は無い。

 

両親が住む離れに被害が

なかったため、両親はここに

残って家業を続ける。

 

 

   

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きうえもんさんは就職のため、

一家で愛知県へ移住する。

 

愛知県は三州瓦の産地で、

日本三大瓦の1つ。

 

夫婦で愛知県の瓦工場に勤め、

義理の両親に仕送りも行った。

 

6年後、鹿児島の山奥へ戻って、

高齢の両親と目の不自由な

ために帰郷する。

 

自分達親子が住むために中古で

買った家を移築し、おさんのためにも

そばに小さな家を建てたのだという。

 

その時、41歳だったきうえもんさんは、

地元の森林組合に就職し、定年まで

22年勤め、子ども3人を育てた。

 

定年4年後、が他界し、

義姉も7年前に他界された。

 

 

ここに住み始めてからずっと、

裏山の整備を続けている

きうえもんさんは山が荒れて

しまわにように間伐や草刈りを

している。

 

4500坪あるみぞぐち家の山以外に、

隣町にあるきうえもんさんの実家の山

6000坪も1人で世話をされている。

 

畑では野菜を栽培し、1人では

食べきれないので、娘家族

知人にお裾分けする。

 

棚田で稲作も続け、

餅米も栽培し、

年末1人で餅つきする。

 

若い頃は極度の人見知りで

話すのが苦手だった

きうえもんさんだったが、

自治会長を引き受けたのが

きっかけで人と話せるように

なったそうです。

 

 

   

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