今回は8月18日放送の
中居正広の金曜日の
スマイルたちへ
モー娘。&AKB48の
育ての親 夏まゆみ
の回を振り返って
みたいと思います。
(敬称略)
モーニング娘。とAKB48という
2大国民的アイドルを育て、
これまで数千曲の振り付けを
手掛けたダンスプロデューサー
夏まゆみは育ての親として
多くのアイドルに慕われた。
2023年4月に出演した
バラエティー番組を最後に、
わずか2か月後の6月21日に
旅立った。
じつは、7年前からがんを
患っていたにもかかわらず、
自分の教え子・仕事関係者にも
一切明かすことはなく、
仕事を続けて最期まで病を
気付かせなかったという。
闘病中、遺書となる本を執筆。
これまでアイドル達を育て上げた
数々の言葉を残していた。
当時13歳だった新人の後藤真希が
センターに立つことを、なかなか
受け入れなかったという
モーニング娘。のメンバー。
そんなグループ内の雰囲気を
変えたのは、夏による言葉だった。
ムカついている相手には
ありがとうって思いなさい。
辛苦をもたらす人間こそ、
自分を成長させてくれる
恩人です。
著書「人はいつでも、誰だって
「エース」になれる!」より
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当時 最年少だった後藤真希を
救った夏の言葉に救われた。
デビューコンサートを目指し、
1か月で13曲分の振り付けを
覚えることになった。
自分がセンターに立って
おきながら、足を引っ張る
訳にはいかない後藤は
プレッシャーに追い込まれる中、
(後藤加入後の)初のコンサート当日。
本人によると、リハーサルの
時は出来てなさ過ぎてすごく
注意を受けて、どうしようって
不安で仕方なかったが、楽屋に
夏が来てくれて
後藤は本当によく頑張った
と言われ、初めて夏の前で
子どもの泣き方をしていたそう。
LOVEマシーンは初のミリオンに!
夏がなぜ、アイドルの振り付けを
手がける事になったか、その
きっかけを作ったのはつんく♂。
元々、夏まゆみは1985年に
会社を辞めて本格的にダンスの道へ。
当時はヒロミらが所属していた
劇団「夢知無恥」や吉本印天然素材に
ダンス指導した。
1998年 長野オリンピック閉会式では、
一般の人達でも踊れる振り付けを演出。
ダンスをしたことがない人へ
教える技術がピカイチと、
言われていた。
ASAYANという番組でつんく♂は
モーニング娘。をプロデュースする
ことになり、ダンスに興味があって
踊りたい子達に教えていくのとは
わけが違うので単なる振り付けの
先生では無理だなって、
思った時の答えは一つ。
夏先生しかいないと思って、
オーディションの段階から
指導者として参加していただく
ことになったそうだ。
つんく♂のアンケートより
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こうして、振り付けは勿論、
アイドルとしての心構えや
礼儀までつんく♂から託された
夏まゆみが国民的アイドルを
育て上げた言葉は、
「できない」は禁止。
だって絶対できるから。
それって、自分で自分の限界を
決めてるってことだから。
必要なのは、今はでくなくても
「やり続ける」ことなんだ。
著書「人はいつでも、誰だって
「エース」になれる!」より
アイドルグループが活動を
していると必ず、周りとの
実力の差に自信を失う
メンバーが!
そんな時に夏が口にしていた
言葉は、実力の差よりも
努力の差を感じなさい。
「私、何の取り柄もない」
そう言って、すぐ肩を
落としたあなたは、
自分の持っている能力に
気づいていないだけです。
自分の能力に気づいた人にだけ、
輝く場所が与えられます。
著書「人はいつでも、誰だって
「エース」になれる!」より
一部抜粋
保田圭は、夏先生の
振り付けって、その子が
輝くようにバラバラの
振り付けが多く、8人いたら
8人ともフリが違うことも
あるという。
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夏まゆみ先生の
ご冥福をお祈りいたします。