今回は9月5日放送の
ナゼそこ?
を振り返ってみます。
長野県 JR南木曽駅から
タクシーで3世帯集落へ。
標高1014mの秘境集落。
最初に出会ったのは、
浅村さん夫婦。
夫88歳、妻80歳。
夫婦を取材していると、
お隣さんの鈴木さん
58歳登場。
鈴木さんは東京から
移住してきて、浅村さんに
いろいろ教わって、
今日まで来たという。
鈴木さんは以前、東京の
オシャレな一等地 代官山で
働き、バブル期を謳歌していた
こともある。
郵便局の仕事をする
浅村さんの長男53歳は、
仕事が休みの時に両親の
農作業を手伝っている。
浅村家のお父さんは若い頃、
猟師をしていて熊と格闘し、
右足を噛まれたものの、
九死に一生を得た。
いろいろと作るのが得意で、
自作の置物・手作り爪楊枝ケース・
古い廃材をもらって作った
薪割り機がある。
集落には水道が通っていないので、
山の湧き水をホースで引いて、
生活水にしている。
敷地内で自生する行者にんにくの
葉っぱを取って、持ち帰った
浅村家の妻は水で綺麗に洗い、
ざっくりと刻んだ後、
袋の中に移す。
そこに加えるのが、
鈴木さんが豆から煮て、
作った醤油を入れて、
しっかりと揉み込めば
行者にんにくの醤油漬けが完成。
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浅村家の妻は小さい時に
母親が亡くなって、
父親1人に育てて貰って、
中学を卒業してすぐに
製糸工場で3年間働き、
家族に仕送りをした。
その後は地元に戻り、
18歳の時に食堂で働く。
22歳の時に店の常連さんに
紹介された男性が今の夫。
昭和42年に結婚し、
今暮している標高1014mの
山奥生活がスタート。
昭和40年代、集落には
4世帯が暮らしていたが、
道も整備されておらず、
不便を感じた住民は
次々と街へ移住。
集落に残ったのは
浅村夫婦のみ。
ところが、東京から2組の
移住者がやってきた。
その1組が鈴木さんで、
東京ではジュエリーの
デザイナーをされていた。
鈴木さんはスイカやパクチーなど
年間、約50種類の野菜を栽培。
大きなご自宅は4LDKの古民家。
しかも、1500坪の
畑と田んぼ付きで借りて、
家賃は1万円。
祖父の家を解体した時に出た
廃材を利用し、息子さんが自ら
作業小屋を手造りした。
2組目は村谷さん66歳、
元航空自衛隊の彼も
ある理由で東京から
移住してきた。
村谷さんは航空自衛隊に3年、
サラリーマンを経てAI関係の
会社の経営者に!
パソコンで打ち合わせもできる昨今、
家賃が高い東京でなくても、
ネット環境さえあればどこでも
仕事ができると55歳の時に
大自然に囲まれ、静かで
過ごしやすいこの集落に
移住してきた。
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鈴木さん家族が東京から
移住することになったのは?
鈴木さん昭和41年
神奈川県で生まれ、
幼い時から絵を描くことが
大好きで高校卒業後は
東京の美術大学に進学。
大学卒業後、代官山にある
デザイン会社に就職し、
宝石のデザインを担当。
32歳の時に大手建設会社で
働いていた同じ大学の
同級生と結婚。
夫が35歳の時に
大手建設会社を退職。
新たに見つけた仕事場が、
今暮している秘境集落の
近くにあった。
木工職人となり、
作品に使う良質な木材が
とれる場所を探していた所、
知り合いに紹介され、
安く借りられたため、移住を決意。
日々、都会では経験した事のない
出来事の連続で、不安で一杯に
なる中、なんとかやってこられたのは
浅村夫婦のおかげだった。
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