今回は2月15日放送の

ビーバップ!ハイヒール

日本の伝統の正体を振り返って

いきたいと思いますので

宜しくお願い致します。

 

 

暮らしに溶け込んでいる、

礼儀作法習慣などの

古くから伝わる伝統

 

初詣では、

関東 明治神宮

関西 伏見稲荷大社

が参拝者数がトップを

走っているという。

 

初詣のルーツは恵方参りで、

室町時代には行われ、

正月に、その年に縁起のよい

恵方(方角)にある、

お寺や神社を参拝するもの。

 

恵方には、四つの方角があり

毎年異なるので、どの神社も

恵方に当たるのは4年に1度で、

参拝者もそれに合わせて行く

神社を変えていたそうです。

 

 

 

   

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明治5年に日本初の

新橋駅~横浜駅までの

鉄道が開業した。

 

そして明治30年頃、

立川勇次郎という人物が、

恵方参り汽車を結び

つけようと考え、

明治32年に

川崎駅~川崎大師

の2キロを開業し、

明治37年には、

品川まで延長した。

 

これにより遠方からの

客が増え参拝者が激増

していったが、恵方参り

では、4年に1度しか

集客できなかった。

 

この時にあみ出されたのが

初詣で、恵方と関係なく

いつでも参拝させるための

新しいシステムにした所、

大当たりして川崎大師には、

毎年多くの人が集まった。

 

他の電鉄会社も初詣

という言葉で、沿線の神社を

宣伝するようになった。

 

恵方参りという伝統は消え、

鉄道会社にとって

集客しやすい初詣

新しい伝統となった。

 

 

伝統の裏側には、

思い込みとは違う

意外な歴史や思惑が

隠されている。

 

 

伝統に隠された真実を

教えてくれたのは、

作家の藤井青銅さん。

 

 

「日本の伝統」の正体

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藤井さんは、日本人には、

伝統という言葉だけで、

古いしきたりと納得する

傾向があるという。
ところが、日本の伝統には

意外なルーツが隠されていて、

実は時代と共に

変化しているんですと語る。

 

 

おせちを重箱に詰めて

食べるのも明治くらいからで、

一般的になったのは、

デパートが出来てからだという。

 

 

明治時代に正反対になった

冠婚葬祭のしきたりの中には、

喪服が白から黒に変わった。

 

古来 日本では喪服は白だったが、

明治に入ると 西洋にならって

黒色になった。

 

 

   

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平安神宮に隠された

京都の意地

 

明治2年に政府が京都から

東京に移転し、宮中御用達の

老舗も次々と東京に拠点を

うつしていった。

 

 

経済が停滞し、大きな神宮を作って、

京都がホンマの都だと言う所を

みせつけようとしていた。

 

明治28年 平安遷都千百年紀念祭

が行われ、その時のシンボルとして

平安神宮を作るようになったが、

国に頼らず建築費をすべて

寄付で捻出した。

 

 

 

昔の日本人は正座をしなかった?

 

古来、正座は神や仏などを

拝む時など神聖な儀式の作法。

 

平安装束の下半身部分は、

大きくゆったりと作られ、

あぐらを組むことを前提に

作成されていたという。

 

日常の礼儀で正式なのは、

あぐらだった。

 

もともと、あぐらが伝統的な

座り方だった。

 

江戸時代初期に参勤交代が、

制定され、大名達は

江戸城内の作法として

正座を強制させた。

 

将軍と対面する時に、

彼らを正座させることで、

将軍を神や仏のように

将軍を神格化し、忠誠心を

植えつけ、新しい礼儀として

全国に拡散し、庶民に普及した。

 

万歳に隠された

明治政府の思惑

 

正式な儀式の時は

無言だったが、

明治22年に

大日本帝国憲法発布

合わせて、明治天皇

観兵式に出席すると、

敬礼だけでは物足りないと

思うようになった。

 

そこで、長寿や末永い繁栄を

意味する万歳を三唱すること

になったが、大きな声に

馬が驚いてしまい、2度目の

万歳は小声に、最後の

万々歳は言えなかった。

 

 

   

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