今回は、12月2日放送の

消えた天才 松田丈志さん編

を振り返っていきたいと

思いますので宜しくお願い致します。

 

2012年ロンドン五輪の400m

メドレーリレーでキャプテンとなり、

日本史上初の銀メダルに導いた松田さん。

 

それレース後に、(康介さんを)手ぶらで

帰すわけにはいかないという言葉が、

2012年の流行語大賞にノミネートされた。

 

2004年のアテネ五輪で8位、

2008年の北京五輪で銅、

2012年のロンドン五輪で銀と銅、

2016年のリオ五輪で銅になるなど、

五輪で4つのメダルを獲得した

競泳の松田丈志さんが絶対に

勝てなかった天才とは?

 

日本水泳界のレジェンド

松田さんは、2つ上の世代で

北島康介さんをはじめ、タレントが

揃った世代で、なんであの人は

あんなに速いんだろう?

勝てる気が全然しない天才が居たと話す。

 

五輪には行けるかもしれない

期待値があり、雲の上の存在

だったというのに。

 

 

   

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松田さんが中学1年で初めて

出場した全国大会で、

久世由美子コーチとともに

水泳競技の1500mの自由形決勝を

観戦すると、小柄な天才が日本では

まだ売っていないシリコン製の

個性的なキャップを被り、最新の

ゴーグルをしていたという。

 

その天才はスタートから全力で

飛び出し、ペースを落とさずに

最後まで泳ぎ切って優勝した。

 

中学時に松田さんは天才

400mで直接対決をすると、

9秒の差をつけ天才が勝利。

 

その天才は、日本最高峰の

日本選手権決勝に中学生で

唯一出場し、大学生社会人

トップスイマーもいる中で

中学生の新記録を塗り替え

4位になったのだそうだ。

 

天才の名前は、山邊壽崇さん。

 

山邊さんは、春のジュニアオリンピックで

中学1年から6年連続で優勝。

 

入江陵介選手や寺川綾選手などを

輩出しているイトマンスイミングスクール

所属していた。

 

シドニー五輪の直前には、高校新記録を

樹立してオリンピックの有力候補

だったが、その後のシドニーでも

アテネの出場者にも名前が挙がらず

姿を消してしまったそうです。

 

 

松田さんと山邊さんが出場した

試合では、山邊さんに勝利した

人物、藤田駿一さんが居たという

ことを紹介、現在は近鉄電車で

車掌をしているという。

 

 

   

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あれから18年、山邊さんは今、

大阪にいるのだそうだ。

 

そして、五輪に行けなかったのは、

代表選考会の前日に高熱のアクシデント

に襲われていたという事がわかった。

 

ペースが落ちなかった理由は、

頭がしんどくなってきて、

カラダもしんどくなるので、

紛らわすために、歌ったり

していたのだそうです。

 

五輪は夢であり、最終目標だった

山邊さんは、選考会直前の過酷な

練習により、前日に原因不明の

40℃の高熱になり、当日は

強行出場するも予選落ちに。

 

これ以降、モチベーションが

あがらなくなり、勝てなくなって

しまっていた。

 

姿を消したのは、過酷な練習が

水の泡になったから。

 

現在の山邊さんは家や土地の調査をする

土地家屋調査士の仕事をして、

ポッチャリ体型に。

 

5年前に結婚し、オリンピックを

諦めたことに後悔はないという。

 

 

   

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