今回は5月26日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組で今回は、

和歌山県にある

ポツンと一軒家

 

北東部の山の中腹

大きな建物が2棟

のあるポツンと一軒家

目指すも空き家だった。

 

ハシヅメさんのお知り合いの

フクオカさんが1人暮らしを

しているポツンと一軒家を目指す。

 

そこまで、引き続き

ハシヅメさんに案内

してもらえることになった。

 

 

前回分

 

 

   

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上がって来た道を下り、

20分程走らせると

山頂付近まで来ていた。

 

すると再び、180度 転回

させないと通れない道が出現。

 

ガードレールのない崖っぷち

の細い道を走行。

 

そんな道をゆくと、

ポツンと一軒家に辿り着いた。

 

 

 

 

ポツンと一軒家の主

フクオカコウエイさん78歳

によると、昔は何軒かある

集落だったという。

 

玄関を入ってすぐにあるのが、

広い一間続きの台所で昔は、

ここで家族が囲炉裏を囲んで

いたそうだ。

 

祖父母が亡くなり、5年間

空き家だったが、その後の

30年間は弘法大師の教えを

学ぶ大学生に貸していたという

フクオカ家。

 

ここへフクオカさんが帰ってきて

20何年、屋根だけ直したら

家が潰れへんかな思って、

それだけ直してこっちで

1人で生活し、さんと

子どもは大阪の和泉市に

住んでいて、たまに帰る。

 

フクオカさんは大学卒業後、

大阪の食品メーカーに就職し、

26年前の52歳の時に早期退職。

 

生家に戻って、1人暮らし。

 

自ら割った薪を焚き、

わかすお風呂は

ポツンと一軒家あるあるの

五右衛門風呂。

 

江戸末期から明治のはじめに

建てられた歴史ある

フクオカ家の中には、

古いものが色々ある。

 

150年ほど前、曾祖母の代から

この家にあったとされる

梅と鷹を描いた屏風。

 

明治の初めの頃の襖。

 

神社仏閣の屋根などにみられる

檜の皮を利用した日本伝統の

屋根葺の手法である檜皮葺

 

樹齢70年以上の檜の皮を使用し、

今も原皮師とよばれる檜の皮を

剥ぐ職人が活躍している。

 

フクオカ家の先祖は、

原皮師の元締めだったようだ。

 

 

   

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亡祖父は高野山 奥之院に勤務し、

弘法大師を衛る意味で

コウエイ」と命名していた。

 

フクオカさんが山奥の実家に

戻ったあと、高野槙を切って

売り生計を立てている。

 

高野山にはかつて、禁植有利竹木

というきまりがあり、果樹・花・

竹・漆などの植樹を禁じていたので

花の代用として高野槙をお墓や

仏壇に供えるようになっていた。

 

高野槙を切る仕事が終わった後は、

インスタントコーヒーに自家製の

蜂蜜を入れて飲んでいる。

 

 

家のすぐ脇にある瑠璃の滝

の流れは、住人たちに

親しまれていた。

 

フクオカさんが幼い頃、

同じ小・中学校に通った

幼馴染みの仲間が、

フクオカさんがこの家に

戻ったのをきっかけに、

20年前から年に一度大集合して

流しそうめん焼き肉

楽しんでいる。

 

 

早期退職までして戻った

最大の理由

 

父親が亡くなり、1人になった

母親の為に実家に戻った。

 

母親は、花が好きで

植えていた花壇があり、

大事に育てていたが、

今は施設にいる母親

代わりにお花の

世話をしている。

 

母親の実家でもあるこの

土地を元気なうちは

守ろうと親孝行している。

 

 

   

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