今回は2025年4月9日放送の

世界の何だコレ!?

ミステリー

振り返ってみます。

 

 

 

富良野には・・・

なぜ たくさん

ラベンダーが咲いている?

 

富良野で最大の

ラベンダーファームへ。

 

ラベンダーが咲くのは

6月中旬~8月中旬。

 

ファーム富田 4代目

富田均社長によると、

現在はシーズン外だが、

温室の中で実験的に

工夫している。

 

室温・土の水分量・日照時間

などを研究し、冬でもラベンダーが

楽しめるように栽培実験をしている。

 

ラベンダーは葉や茎からも、

花とは違う香りがするそうで、

それぞれからフローラルな香りが

楽しめるという。

 

風景を彩る綺麗な花という

イメージだが、ラベンダーは

かつて、香料の原料として

栽培されていた

農作物だったという。

 

産業目的で1937年に日本の

香料会社がフランスから

ラベンダーの種を5㎏輸入。

 

岡山・千葉・北海道で

試験栽培を開始。

 

その結果、北海道の気候や

土壌がラベンダー栽培に

適していることがわかり、

ラベンダーの栽培が

おこなわれるようになった。

 

そして、北海道のほうで

奨励作物として、ラベンダーの

栽培が盛んに始まった。

 

 

   

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元南富良野町 教育委員会

社会教育係の山名さんによると、

一番のピークの年は昭和45年。

 

農家の戸数も250戸にまで増えた。

 

ラベンダーの栽培面積は増加し、

1970年には富良野地域だけでも

250戸のラベンダー農家が存在。

 

質が高い香料は一躍、

人気となった。

 

最盛期の1970年から2年後には、

ラベンダー農家が急激に減り、

まとまったラベンダー畑を

持つのは、ファーム富田のみに。

 

海外から安い合成香料が

入るようになって、

天然香料は高いので

必要ないと言われて、

香料会社が買ってくれなくなった。

 

父親母親が一生懸命作ってて、

社長も幼いときに見ていたが、

ラベンダーを続けるのは難しい

という時期だった。

 

生活のかかった農家は

ラベンダー畑をつぶすことを

余儀なくされた。

 

園内には当時のお様の

思いが残されている。

 

それでも、ラベンダーの栽培を

やめることはできなかった。

 

残されたラベンダー畑に

偶然起きた奇跡。

 

そのきっかけになったのは、

1975年に国鉄のカレンダーに

父親母親が残してくれた畑が

掲載されたこと。

 

1976年に富良野地方の

他のラベンダー畑が全国版の

国鉄のカレンダーに採用された。

 

それまで、あまり目にすることが

なかった紫色の綺麗な花畑。

 

これを見た多くの人が是非、

間近で見てみたいと、全国から

富良野に殺到した。

 

一度は富良野から

消えそうになった

ラベンダー。

 

富田さんのご両親の思いが

奇跡を起こし、再び富良野で

多く栽培されることに。

 

今では富良野の名産として、

日本中で知られる存在となった。

 

ラベンダーの花言葉は、

あなたを待っています。

 

 

   

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長崎 無人島の森に残る奇

妙な建物!?では、佐世保市

永ノ島にある建造物を調査。

 

すると、炭鉱施設の跡

だとわかった。

 

資料によると、明治30年ころ、

炭鉱事業を開始するが、

約9年で閉鎖。

 

昭和32年に再開し、

器のようなものと

ビルのようなものは、

選炭場という採掘した

石炭を選別する施設。

 

丸い2つは沈殿槽と呼ばれる

細かい石炭を土と分離させる設備。

 

道路のように見えていたのは、

ホッパーと呼ばれる坑道から

運ばれた石炭を貯蔵する設備。

 

最盛期には数百人が働いていて、

売店や映画館や50人くらい入れる

共同風呂があったそう。

 

 

   

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