今回は2月19日放送の
林修のニッポンドリル
逆転の発想
振り返ってみます。
大正時代に日本で生まれた
広告宣伝のアドバルーンは今、
遊園地やテーマパークで欠かせない
モノに姿を変えているという。
1950年時代に多くあげるのが良しとされ、
デパートの開店時などは多くの数に
挑戦していたアドバルーンの数が
あまりに多かったため、日給1万円ほどで
揚げ屋なる仕事もあったという。
アドバルーンを知っている
20代以下の若者は、50人中6人。
アドバルーンが姿を消したのは、
建築基準法の改正が関係していた?
1970年 建築基準法の改正で
31mを超える建物の建築が可能になり、
高層ビルが乱立し、アドバルーンを
揚げても目立ちにくくなったため、
減少したと考えられているようです。
しかし、アドバルーンを作っていた
1964年創業の中部アドという会社は、
遊園地やテーマパークに欠かせない
モノを作っているという。
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1970年代 中部アドの創業者、
現在の社長の父である田中博さんに
驚きの依頼が入った事から始まる。
大阪万博の跡地で行われた大くじら博
というイベントで、日本を再び世界に
アピールするための依頼が来た。
それは、実物大のシロナガスクジラの
バルーンを作って欲しいというものだが、
アドバルーンで使っている薄い生地では
耐えられない。
あまりに巨大な物は生地も重く、
接着だけでは強度が持たず、
空気が漏れてしまうという。
かといって、強度を出す為に
生地を縫い合わせると、
その縫い目から空気が漏れる。
そこで生まれた逆転の発想。
空気が漏れるなら空気を
入れ続ければいいということ。
田中さんが目を付けたのは、
海外では浸透していた送風機を
使う技術だった。
送風機で空気を送り続ければ、
多少穴が開いても大丈夫!
そうして生地と生地を縫い、
30mを超える巨大な
シロナガスクジラを再現させた。
この時取り入れた規格外の
バルーンを作る技術。
それがアドバルーンが
下火となった今、遊園地や
大型イベントに欠かせない
アトラクションを作る
メーカーに急成長。
子供達が中に入って遊ぶことの出来る
エアートランポリンやエアー滑り台、
エアー遊具になった。
そしてその技術は、
エアーご当地キャラが
着ぐるみよりも軽いと
全国から依頼が殺到していた。
マラソンのスタート地点で多く見る
アーチの製作をしているのも
この会社だった。
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シャンプーハットの商品化の
きっかけは、親子で一緒に
お風呂に入っていた時。
息子のシャンプーを流すと、
泡が入って痛がる子どもの姿を
見たくなかったことから。
1960年代は、5日に1度というほど
薬剤が強く、今より目に染みていた。
そんな子供たちを救いたいと思いから
シャンプーハットの開発が始まった。
大ヒット商品となったが今では、
子どもの水嫌いを助長していると
評判になってしまったが、
穴から落ちた水で楽しみながら
水嫌いを克服してもらう
シャンプーハットを去年の9月から
販売開始されている。
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