今回は4月19日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
木々に埋没
屋建物が3棟?
衛星写真で見つけた鹿児島県の
ポツンと一軒家を目指し
最寄りの集落から捜索を開始。
集落に到着。
家の外に出ていた住人発見。
お父さんに衛星写真を見て貰うと、
「タケノさんの家じゃないの」
と返事がかえってきた。
ところが、家にいる奥さんに
名前を確認しに家の中へ
入って行った。
お父さんが戻って来ると
フタツキさんのお宅だったようで、
道の案内までしてくれる事になった。
目指すポツンと一軒家は、
フタツキさんの家で
修学旅行生を受け入れる
宿泊施設もあるようだ。
家のそばには、大きな岩が
ゴロゴロ転がっているという。
捜索再開。
お父さんの軽トラの後について行くと、
急に細くなった道に入って、枯れ枝が
積もる凸凹の林道を抜ける。
突然、視界が開けたかと思ったら、
急な下り坂に変わった。
その後も軽トラに
ついて行くと、家発見。
ところが、建物の数も
配置も全く違っていた。
この場所もポツンと一軒家には
違いないが、衛星写真で見つけた
目指すポツンと一軒家は、約2㎞
離れた山中に建っていた。
原木椎茸の植菌中だった
ご主人も山を降りて来てくれた。
目指すポツンと一軒家は、
10年前に鉄砲水がきて1軒は
流されてしまい、みんな麓に
下りたのだそうだ。
調べた所、先導してくれた
お父さんの言う通り、
そこには3軒家があったが、
鉄砲水の被害に遭い、住民たちは
山を下り、今は空き家。
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でも、ここはポツンと一軒家なので
取材交渉した所、成立。
ポツンと一軒家には、
フタキシンイチさん74歳と
ヒロコさん70歳のご夫婦が
住んでいた。
道を先導してくれた
お父さんと別れた。
この家には、まなちゃん荘
と書いてある。
そこはシンイチさんの
秘密基地だそうで、
2人の孫の名前を掛けて
まなちゃん荘にしたらしい。
シンイチさんが生まれたのは、
日本統治時代の韓国。
1945年8月12日、終戦の3日前に
誕生し、生後4ヵ月で家族とともに
引揚船で京都の舞鶴に帰国。
両親の故郷である鹿児島で
4人兄弟の二男として育った。
高校卒業後は、鹿児島県庁の
職員として働いた。
28歳の時、お見合いで
ヒロコさんと結婚。
娘3人が結婚して出てからは、
夫婦2人で3年前から暮らしている。
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最初は杉山で人が入れない状態
だったので軽トラを購入して
土日の休みに少しずつ開拓。
シンイチさんはここで農作業して、
ゆっくり焼酎呑む事が
定年後の人生だという。
20年前、シンイチさんが
県庁在職中に6,000坪の
山を購入し、夫婦で開拓。
家は業者に頼んで建てて貰ったが、
週末は現場に通って作業に
参加していたシンイチさんは
広い畑も作った。
定年退職後は、修学旅行生の
農業体験の民泊を行っている。
1年に17校の予定がきているとか。
平成20年度から国が推進する
農業体験型の修学旅行に
協力しているフタキさん夫婦。
それは、全国の小・中・高校生が
1クラス単位で地方に訪れ、
農家1軒に3,4人ずつ
2,3日宿泊して農作業体験を行う事。
民泊を始めて今年で9年目、
畑の耕作や野菜の収穫体験を
してもらっている。
定年後の楽しみのために建築した
秘密基地は、修学旅行生向けの
施設として活用。
囲炉裏で食べる焼肉は、
修学旅行生に人気なのだそうだ。
普段は、夫婦の休憩・宿泊場所
となっている。
修学旅行生がまなちゃん荘で
美味しいご飯を食べた後に
生徒が寝泊まりする場所は、
少し離れた場所に建っている
作業場の一部を改装した所。
お天気が悪い時は、寝泊まりする
場所で蕎麦打ちの体験をしている。
急遽、捜索隊も蕎麦打ち体験を
経験することになっていた。
そこで教えて貰えるのは、
蕎麦粉と水だけで作る十割蕎麦。
蕎麦打ち体験後、捜索隊が
案内されたのは、巨大岩。
一番大きな岩は、高さが約4mあるが、
巨岩が集まっている理由は不明。
シンイチさんはここで神聖さを感じ、
岩を囲むように遊歩道を整備した。
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