今回は9月6日放送の

ザ!世界仰天ニュース

天才芸人 横山やすし伝説

を振り返ってみたいと思います。

 

 

(敬称略)

 

記憶に残る

伝説の規格外芸人

 

漫才界のトップに君臨していた

やすしきよし横山やすし

 

全盛期のらが、

上方漫才大賞3回

上方お笑い大賞2回

文化庁芸術祭優秀賞

花王名人大賞2回など、

数々の漫才大賞を

総なめにした。

 

その一方で、やすしは型破りな

生き方でタクシー運転手に暴行し、

実刑判決を受けたり、ボートレースに

はまり、仕事をずる休みするなど、

むちゃくちゃ。

 

だが、まっすぐに生きた天才芸人。

 

今もなお、お笑い芸人たちに

影響を与え続ける伝説の男。

 

亡くなって今年で26年、

51歳だった。

 

スター街道は

波乱に満ちていた。

 

 

1977年に2度目の

上方漫才大賞を受賞し、

テレビ番組の出演も増え、

大阪から東京に進出。

 

真面目なきよしと天才的ながら

練習嫌いのやすし、対照的な

2人は常にケンカが

絶えなかったという。

 

 

1966年に「やすしきよし」誕生。

 

当時、笑点の放送も始まり、

お笑いでは落語やマジックバンドが

活躍したが、やすきよの登場に

お笑い界に変化が!

 

やすしが最も

こだわったのは

テンポだった。

 

 

   

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結成から1年足らずで、

上方漫才大賞新人賞を受賞。

 

その3年後の1970年には

上方漫才対象受賞。

 

お笑い界のトップに

上り詰めたやすし

私生活でも結婚し、

息子も誕生、数々の

レギュラー番組を抱えた。

 

 

1970年12月、車を運転中に

タクシーと接触したやすしは暴行。

 

相手側のタクシーにたまたま

新聞記者が乗っていて、各紙で報道。

 

特に問題だったのは、やすし

飲酒運転で無免許だったこと。

 

その結果、懲役3ヶ月で

執行猶予2年。

 

番組は全て降板、

2年以上の謹慎期間中も

やすしは飲み歩き、

元々ボートレーサーに憧れて

自らボートレースチームを設立。

 

 

やすしはとんでもない負けず嫌い、

吉本芸人のマラソン大会で陸上の

高校生に負けて1位になれず、

当時の日本陸上のトップ選手

コーチを依頼し、毎日走り込んだ。

 

 

1973年に2年4か月ぶりに

テレビ復帰し、1980年に

漫才ブーム到来。

 

やすきよは舞台だけでなく、

テレビでも活躍。

 

一日で民放4局全てを

制覇するほどだった。

 

自由に発言すればするほど、

人気が高まったが、芸人として

全盛期を迎えたその裏で

トラブルも絶えない。

 

 

1977年4月、タクシー運転手

暴言を吐き、告訴されたり、

借金問題でトラブルもあった。

 

そんな事件をネタにし、

笑いを取った。

 

 

   

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横山やすし

本名 木村雄二は1944年に

高知県沖の島で誕生。

 

やすしは産まれてすぐ、

と離れての住む大阪へ。

 

そこでと育てのとの

生活が始まるが、そのもまた

やすしの本当のではなかった。

 

漫才師になったのは、

育てのの一言だった。

 

ある日、ラジオで聴いていた

のど自慢の子が中学生だったことに

が、すごいよな~あんたラジオ

なんか出られへんやろ?

 

そんな一言がやすしの心に

火をつけた。

 

なんとかラジオに出たいと

選んだのは漫才教室という

一般参加者が漫才を披露する

ラジオのオーディション番組。

 

中学生のやすし同級生

コンビを組むと、大人たちと

混じって見事に勝ち抜いた。

 

 

   

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