今回は9月5日放送の

世界まる見え!テレビ特捜部

を振り返ってみたいと思います。

 

 

 

今から80年以上前、1939年5月。

 

第二次世界大戦の4か月ほど前の

ドイツ・ハンブルクの港。

 

ここ数年、ヒトラー率いるナチスにより、

ユダヤ人への迫害が酷くなってきている

ため、海外へ脱出しようとする多くの

ユダヤ人がこの港に押し寄せていた。

 

ほとんどの人が財産や家などを

全て処分して乗船券と入国用の

ビザを購入。

 

ナチスの命令で海外に持ち出せる金額は、

現在の日本の価値で約4,500円の

10ライヒスマルクで、残りは全て

没収されていたそうだ。

 

この日、出港する客船 セントルイス号が

向かう先はカリブ海の島国、キューバ。

 

900人以上のユダヤ人が

自由を求めて旅立つ。

 

そんならにナチスの魔の手が

忍び寄っていた。

 

絶体絶命のユダヤ人たちを救った

1人の船長の物語。

 

 

Die Ungewollten

 

 

   

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1939年5月13日、

セントルイス号出港。

 

乗客の中には家族が先にキューバに

渡っている者もいて、キューバに行けば

迫害されることのない安全な生活が!

 

セントルイス号は本来、

ナチスの豪華客船で、

多くの乗務員ユダヤ人に対して

偏見を持っていた。

 

ところが、

グスタフ・シュレーダー船長は

乗客に最高のもてなしを

提供するように乗務員に伝える。

 

 

5月27日。

 

キューバのハバナ港に到着したが、

キューバの大統領ユダヤ人の

上陸を禁止した。

 

ドイツに送り返されたら、乗客

強制収容所に入れられるかも知れない。

 

数日後、船長に上陸を禁止された

理由が知らされる。

 

それは、キューバの観光大臣

乗客から集めたビザの代金を

ネコババしたらしい。

 

とりあえず、船舶会社から

キューバ支社・キューバの大統領

直接交渉することに。

 

しかし、キューバの大統領

軍艦を出しても、セントルイス号を

追い出すと警告。

 

絶望して自ら命を絶つ人もいたという。

 

そんな中、船舶会社のキューバ支社から

弁護士が到着すると、この船の乗客

ドイツに戻ることが前提で、ピザの代金が

ネコババされた話を聞き、追い返されると

分かっていながらユダヤ人をキューバに送った。

 

ユダヤ人はドイツだけじゃなく、

他の国でも嫌われてる事を

世界中にアピールできると

考えられていた。

 

 

6月2日。

 

キューバ・ハバナ港を離れる。

 

船長は20年近く客船に乗って

会社の命令に従ってきたが、

今回だけは会社の命令に背き、

各国のユダヤ人支援団体に連絡し、

受け入れ先を探し、ドイツに戻らず、

ニューヨークへ行こうとした。

 

 

   

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それは、移民の国のアメリカなら

彼らを受け入れてもらえるかも

知れないと思ったから。

 

航海の途中に船長は、

ユダヤ人の支援団体などに

電報して、乗客を救助して

くれるようにアメリカに

交渉を依頼したが、失敗。

 

当時、失業者が増えていた

アメリカは新たな移民の

受け入れに消極的だった。

 

 

アメリカ沿岸警備隊

アメリカの領海から

出るように言われた

セントルイス号は

ヨーロッパに行く。

 

船は確実にドイツに

近づいていく。

 

 

6月14日。

 

イギリス近海まで到達すると

船長は一等航海士に今夜、

機関室に火をつけるから

乗客を救命ボートに乗せて

避難させるよう指示した。

 

ここの海域なら、イギリスは

国際法にのっとって、乗客たちを

救助する義務があるため。

 

きっと、イギリスに

上陸できると思った。

 

 

無謀とも思える作戦が

決行されるも、乗務員

作戦がバレてしまう。

 

窮地に陥る船長だったが、

一等航海士がこれは訓練

だと言って助けてもらう。

 

 

そこに複数の政府が

受け入れに合意したという

電報が入る。

 

その後、

ベルギーに214人・オランダに181人

フランスに224人・イギリスに288人

が受け入れされた。

 

第二次世界大戦がはじまり、

ナチスがヨーロッパを占領。

 

救われた乗客の約3分の1は

強制収容所に送られてしまったが、

多くの乗客が1人の船長によって

救われていた。

 

 

 

   

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