今回は、9月22日放送された、
中居正広のキンスマスペシャル
野沢直子が金スマで家族の
仰天エピソードを暴露した回を
振り返っていきたいと思いますので
宜しくお願いいたします。
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芸人である野沢直子さんは、
2年前、父親に隠し子の存在を
はじめて知り、亡き父が隠していた
秘密が明らかになったのだそうです。
父親が亡くなられた直後にアメリカで
暮らしていた直子さんは訃報を聞き、
翌日日本へ着くと弟からいくつもの
メールの着信があったそうです。
そこには、弟が遺品整理をしていた時、
父親の隠し子がタイにいるのをみつけると、
直子さんは2017年の7月に、
何を話す? 会ってくれる?
行ってもいいの?という不安を抱えたまま、
名前と住所、連絡先を
手掛かりにタイへ行く事を決心した。
直子さんの父親である直哉さん、
その父親は直木賞候補にもなった
陸直次郎さんだった。
祖母の小代緒さんは、
何人もの弟子を育てた
三味線の師匠、
父親の弟さんの野沢那智さんは、
高校教師 太陽がいっぱい
ゴッドファーザー トゥルー・クライム
などの声優で有名になるなど
芸能や文学の名門一家だったが、
超ビンボーだったそうです。
貧乏ったのは父親のせい?
1963年に東京都中央区人形町で
誕生した直子さんの一家が暮らす
家は四畳半が2つあるだけの長屋に
家族5人がひしめくような生活だったようです。
世の中にカラーテレビが普及しても
白黒のままで、カラーテレビが見たい
というと父は、カラーの下敷きで
カラーテレビにしていたとか。
貧乏な生活だったのは、
一発当ててやるが口癖の
人の下で働けないタイプの父親
のせいだったのだというのです。
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直子さんの父親は、実業家で
健康食品を開発しては
いつも一山あててやろうと思うような
アイデアを出す人で、試作品の
実験台は家族だったといいます。
父親の開発した、朝鮮人参ジュース
の感想を直子さんは、ドブの水にしか
見えず、とても美味しい物では
なかったそうですが、売れると信じていた
父親は全財産で大量生産をした。
ところが売れ残ってしまったので、
3年間かけて大量に残った在庫を
飲まされていたのだそうです。
また、ハゼドンという漫画で
大笑いする子供達をみて、
ハゼの天丼で、そのままぱくって
考案されたハゼ丼を売るため
店まで構えるも売れず失敗を
繰り返していたのだといいます。
残ったのは在庫と借金だけで
生活は豊かにならなかったが、
母親の勝美さんは、父は
絶対に成功すると、ハゼの時も
朝鮮人参の時も絶賛していた
のだそうです。
直子さんが小学6年生だった頃、
ある日をさかいに父親は家に
何ヶ月も帰って来なかったが、
半年後に帰ってきた父親の
髭はボーボーでホームレスのような
風貌だったが、それでも母は
いつも通りに振舞っていたそうです。
しかし、その失踪は
隠し子問題の序章に過ぎなかった?
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失踪からしばらくすると、競馬の
予想業で会員を募って電話で予想を
教える怪しげな商売だったが
大当たりして大成功をおさめた。
四畳半で二間の借家から
大豪邸の暮らしに変わり、
健康食品の事業も再開し
朝鮮ジュースを販売した。
自社ビルや別荘に自家用ボート、
1987年には競走馬を100頭以上
保有していた時期もあったそうです。