今回は3月20日放送の
その他の人に会ってみた
を振り返って
みたいと思います。
この番組は少数派を選んだ、
”その他さん”に注目する。
人気ちゃんこ店から壮絶な道を
選んだ”その他さん”として紹介
されたのは、1976年に佐渡ヶ嶽部屋
に入門した琴剣さん。
50代横綱 千代の富士さんが
全盛期だった1986年に琴剣さんは、
三段目を最高位に10年の相撲生活に
幕を閉じてしまったそうだ。
相撲界を引退した琴剣さんは
力士時代に学んだ経験を活かし、
ちゃんこ店を、3歳年下の奥さんと
店を始めたが、開店から7年、
奥さんは、甲状腺ホルモンが
過剰に分泌され、強いめまいや
動悸を引き起こすバセドー病
と心不全になってしまい、
余命1年宣告を受けていたそうです。
奥さんの支えを失った琴剣さんは、
1人ではどうにもならなくなってしまった。
高校生になる二人の子供の世話と、
奥さんの看病の事を考えて、
お店を閉店させた。
相撲で培った精神力と体力で、
それを活かせる仕事をするため、
ゴミの清掃員になるが、貯金が
底をつきそうになっていたある日、
奥さんからあることを言われたそうだ。
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そのある事とは、
あなたは漫画を描くのが
だいすきだったでしょ?
私はあなたが一生懸命やっている
姿が好きと言われたそうです。
現役時代の琴剣さんは、
”絵が上手い力士”として有名で、
スポーツ紙にイラストの連載を
持つほどだったようで、
私の事はいいから、漫画家に
なって頂戴と奥さんに言われた
事をきっかけに、漫画家になる事を
決意された。
人気力士のイラストを書き続ける
事にしたが、簡単には売れない。
考えた結果、両国国技館で
売らせてもらおうと琴剣さんは
直談判に向かうと、それが
認められ、相撲ファンの間で
話題になり、マグネットの販売、
「ジャポニカ学習帳」表紙のオファー
など、漫画だけで生計が立てられる
ようになったそうだ。
現在、58歳になられた琴剣さんは
奥さんが漫画家になってと言われた時、
目が覚めたというか、本人も病気の最中に
どうしてその、人の事を言えるんだろうな
っていうことにまずビックリして、
苦しんでいるはずなのに、その一言で
バットかトンカチで殴られらような
衝撃で目が覚めたと話す。
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土俵に立つつもりで絵を売りに行った
琴剣さんは、国技館に来ているお客さんが、
私の絵を欲しがっているのが嬉しかった。
新聞や雑誌に連載を5本持つ売れっ子
相撲漫画家になった。
相撲めしのヒットも、全て
奥さんの一言があったから!
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奥さんも元気になり、あの時
漫画家になってと言った理由を
絵が上手だったから、
本当に勿体ないなって思った
からだったそうです。
琴剣さんは、奥さんと2人で
琴剣だと思いますと語った。
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