今回は4月11日放送の

ビーバップ!ハイヒール

関西発 ヒット商品

を振り返って

みたいと思います。

 

大阪で生まれたヒット商品や

ヒットビジネスが多く

誕生しているという。

 

世界初の即席麺

チキンラーメン

日本初のレトルト

ボンカレー

世界初の電卓

 

そして…

 

1953年 大阪・梅田の

旧大阪第一生命ビルの

地下レストラン

「ニュートーキョー」

500人を招待する展示会を

3日間店で開き、飲食も

振る舞いたいという依頼が!

 

常連客をないがしろにはできず、

店長は9階建てのビルの屋上を

使用する事にする。

 

夜景を眺めながら

ビールが飲める展示会は

大盛況に終わったが、

噂を聞いた市民が店に殺到し、

屋上での営業を始めたのが、

ビアガーデンの誕生。

 

エアコンが普及していない

時代に、涼しい場所で

ビールを飲める幸せ。

 

「客の願いを叶えたい」

という店長のアイデアから

誕生し、新しいモノ好きな

大阪人気質により、

ビアガーデンは大阪の

風土が生んだビジネス。

 

 

   

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1956年 大阪市中央区の

印刷工場で働いていた

ある兄弟は、仕事がら

カミソリでよくケガを

していたという。

 

その時は、アメリカ軍が

配っていた「板チョコ」から

折る刃式カッターナイフが誕生、

刃を折るアイデアは、板チョコ

から生まれていた。

 

さらに、刃こぼれしても、

まだまだ使える!

 

勿体ないと言う大阪人気質が

大発明を可能にしていた。

 

 

このように関西で生まれ、

関西人らしさが詰まった

ヒットビジネスヒット商品

誕生秘話を教えてくれるのは、

ノンフィクションライター

井上理津子先生。

 

井上先生は、大阪で生まれた

様々な物を自ら取材している。

 

大阪での誕生ドラマは、

無茶から始まってるから

面白いと思い、だからこそ

輝く「人間力」「街の力」

紹介してくれるという。

 

 

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1893年 大阪市中央区で

25歳の若者(森下博)が

小さな会社を立ち上げた。

 

とふたりの従業員と共に

薬品の生成をしていたが、

業績が上がらない。

 

1900年に梅毒が猛威を振るい

人々を苦しめていた時、

森下は東京慈恵会医科大学

教授 笹川三男三博士に協力を仰ぎ、

梅毒の新薬を開発したという。

 

社運を賭けた自信作で

ドイツの宰相 ビスマルクの顔を

あしらった広告で、新薬「毒滅」

のイメージアップ作戦を実行。

 

有名人を起用し、

薬の信頼度を上げた

 

広告における人物起用は

当時、斬新で画期的だった

とされる。

 

 

そして「毒滅」は、一気に

世間へと広まった。

 

 

   

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2年後、江戸から続く薬屋街

道修町で、一旗あげる事に!

 

そこは現在で言う、塩野義製薬や、

小林製薬などの製薬会社のトップが

しのぎを削り合う薬の激戦区。

 

ところがそんなに甘くなかった…

 

 

   

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