今回は、7月14日放送の
消えた天才
錦織圭が3戦全敗!
全く勝てなかった同世代の天才
を振り返って
いきたいと思いますので
宜しくお願い致します。
2019年7月8日 ウィンブルドン4回戦で
見事ベスト8に進出、日本人過去最高
世界ランキング4位に上り詰めるなど、
テニス界のスーパースターとなった
錦織圭選手。
幼少期からトップクラスで
小学6年生の時には全国大会の
3大タイトル全て制覇し、3冠達成。
中学ではジュニア国際大会で優勝、
テニス界の神童と呼ばれる事も
あったが、そんな錦織圭選手が
3戦全敗したという同世代の
天才が日本にいたという。
2人を指導していた
竹内映二さんによると、
世界的にも当時、錦織圭に
3回勝つのは誰もいない
んじゃないでしょうか?
彼だけだと思うという。
世界の舞台にパスポートが
いるなら天才はもう持っていて
必ず彼が世界のトッププレイヤー
になるっていう風に見ていたという。
2人の初対戦は、小学生全国大会。
天才の武器は、サウスポーから
繰り出される力強いショット。
2回目の対戦は4年後の大会。
錦織圭選手は当時、米IMGアカデミー
へ留学し、アガシやシャラポワなど
一流選手を育てたテニスの名門校で
腕を磨いていたが、6-4で(1ゲームマッチ)
で負けてしまった。
さらに1年後の3戦目は、6-3、6-4
で天才は錦織選手にストレート勝ち。
その天才とは、藤井貴信さん。
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藤井さんはやんちゃな
感じがするが、その中に
可愛らしい面が見えて
目立っていたという。
当時の成績は、同世代で最強!
17歳でウインブルドン・ジュニア出場、
18歳の時錦織選手よりも先にプロデビュー。
将来は世界で必ず活躍すると
期待されていたが、ライバルの
錦織選手が世界の舞台で活躍
しているのに対し藤井さんは、
国内大会でも目立った成績を
残すことなくプロ生活2年、
20歳で引退された。
錦織選手に最後に勝った
あの日から15年、藤井さんは
兵庫県の神戸市に居た。
現在は31歳になられ、
5年前にMay J.さん似の奥さんと
結婚し、二児の父となっていた。
建設機械を製造する
会社に勤務している。
小さい頃からプロを目指し、
起きてもテニス、寝る前も
テニスだった藤井さん。
目指す以上は世界で
一番になりたいと感じていた。
錦織選手と初めて対戦した時、
藤井さんは錦織選手の事は知らず、
スコアは接戦で、二歳年下だった
錦織選手の実力に驚いていたそうだ。
ライバルとして意識するようになり、
2年後に2人は修造チャレンジという
全国から10名程しか選抜されない
エリート養成合宿で再会を果たす。
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藤井さんは18歳でプロデビュー、
世界一を目指して渡米するも、
藤井さんが決まったと思った
ショットが外国人選手にことごとく
拾われて、自身が不安に変わったという。
渡米での成績は、1回戦負け0勝8敗。
負けてしまった最大の要因は、
体の大きさだった。
藤井さんの身長は168㎝で、
世界の名だたる選手たちと比べると
小柄で身長差は大きかったようだ。
勝てない自分に焦りを感じる。
そして1度も負けなかった
錦織選手の存在も。
錦織選手も身長は178㎝と
小柄だが、2006年
全豪オープンジュニアベスト8
に輝き、全仏オープンジュニアでも
日本人初ダブルス優勝を果たすなど
大躍進していた。
2人の差が広がり、焦った藤井さんは
1日8時間以上練習したが、これが裏目に。
ある日の練習中、藤井さんは
足首を負傷したが、その足を治さず
試合に出続け、日本でも楽勝だった
相手にも敗北してしまう。
目標達成できる自信が消え、
先が見えず、藤井さんは
プロを辞める事を決断。
天才藤井が消えたのは、
世界で活躍する錦織を
目の当たりにして、
結果を出す事に焦り過ぎたから。
藤井さんは、圭にあって
僕になかったものは諦めない
という気持ちだという。
引退から11年、藤井さんの
息子さんがテニスをしたい
と言い始め、引退後 家族と
テニスを楽しんでいる。
奥さんもジュニア時代に
全国2位を記録、二人の
出会いもテニスだったそうです。
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