今回は3月15日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

茶色と青色の屋根の建物が2棟

開拓跡?

岩場?

衛星写真で見つけた三重県の

ポツンと一軒家を目指し

最寄りの集落から捜索を開始。

 

集落に到着。

 

ソーラーパネルがかなりある

場所を抜け、整備工場で

整備をしている男性発見。

 

男性は自分ではわからないと、

事務所にいるさんを

呼んできてくれた。

 

整備工場のご夫婦は、

ポツンと一軒家を知っていた。

 

 

目指すポツンと一軒家は、

ヒガシヨシミさんだとわかったが、

もう既にお亡くなりになって

いるという。

 

さんの知り合いの家の人にも

確認してもらうと、カラオケを

楽しむためにポツンと一軒家

建てたというヒガシヨシミさん。

 

造園の仕事をしてた人で、

その家のまわりにも公園のような

広い庭をつくったらしい。

 

ヨシミさんが亡くなった後、

息子さんとさんが、その庭を

管理している情報を得る。

 

さんに先導して貰い、

捜索再開。

 

集落を抜け、広い田んぼの脇に

沿ってのびる細い一本道を進む。

 

その先をまっすぐ行くとあるという

所まで案内して貰い、さんと別れる。

 

 

近くを散策するとポツンと一軒家発見。

 

 

 

 

 

   

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だが、周囲は整備されているが無人。

 

ヒガシさんの娘さんの電話番号を

教えて貰っていたので電話すると、

隣の集落からわざわざ来てくれる

ことになった。

 

さんが到着すると、こんな所で

いいんでしょうか?と気にしつつも

でも本人は、すごく生きてたら喜ぶ

と思いますと語った。

 

ヒガシヨシミさんが亡くなられたのは、

一昨年の1月8日で、12月位まで

ここに毎日来ていたそうです。

 

93歳で亡くなる直前まで、毎日

山奥まで来て庭を手入れしていた。

 

この山の麓の村で代々続いていた

農家に6人兄妹の次男として生まれた

ヨシミさんは16歳の時、

陸軍通信士で上海出兵。

 

21歳で終戦を迎えると、

地元の三重に戻り、

漁船や造船所で働く。

 

24歳の時、1つ下の

さんと結婚。

 

結婚後、林業の仕事に携わり、

2人の子どもを育てた。

 

48歳で造園業を始め、80歳まで

現役で働いていたという。

 

そんなヨシミさんが、75歳の時に

建てたのが山の中のポツンと一軒家

 

 

家の中を見せて貰うと、川に面した

窓の目の前に大きな岩壁が迫る。

 

その脇には、砂防ダムに貯めた水が

滝となって流れ落ちている。

 

ヨシミさんは、この景色に魅せられ

ここに建物を建てたのだという。

 

 

   

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この建物は、ヨシミさんが仲間たちと、

一緒に歌って楽しむために建てた

カラオケ小屋だったそうです。

 

ヨシミさんがカラオケを始めたのは

75歳になってからで、この小屋を

建てる少し前のことのようです。

 

それまでは全然、カラオケなんてする

タイプじゃなかったのに、突然

カラオケをするのでさんも

驚いたのだそうだ。

 

 

ヨシミさんが90歳の時、

地元のケーブルテレビで放送された

「年寄万歳!」北島三郎さんの

人生道を熱唱する映像も残っていた。

 

その映像を見たさんは、

懐かしさともうちょっとおって

欲しかった思いを語った。

 

 

80歳で造園業を退職した

ヨシミさんは、自分の

集大成としておよそ6000坪の

山を買い取って公園にした。

 

たった1人で山を切り開き、

石垣を組んで敷地を整備。

 

桜やツツジ、アジサイなど

季節を彩る木を2千本以上

植えていた。

 

80歳から亡くなる直前まで

庭を手入れをしていたヨシミさんは、

誰でも入れる公園として開放していた。

 

ヨシミさんが一昨年、亡くなった後、

長男が管理している。

 

月に1度は滋賀県の自宅から帰省し、

カラオケ小屋を休憩小屋として使い、

広い敷地の整備や植木の手入れを

1人で行っている。

 

長男は、ここへ通える限り公園を

多くの人に観て貰うために

頑張るという。

 

 

 

 

   

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