今回は5月30日放送の
中居正広の金曜日の
スマイルたちへ
HIROさん
の回を振り返って
みたいと思います。
EXILE奇跡の物語を放送。
1999年 EXILEの奇跡。
目指す形は最高のダンサーと
ヴォーカルのユニットだった。
30歳の時、HIROさんは
メンバーを探す。
まず、目をつけたのは
カリスマ的存在だった
3人の天才ダンサー。
当時、ストリートの世界で
絶大なる支持を受けていた
ダンスチームのメンバー
USAさんとMATSUさん。
MISIAさんのバックダンサーを
していたMAKIDAIさん。
彼らが後にダンス少年たちの
憧れとなるEXILEの
パフォーマーとなる。
明治通りの真ん中ぐらいの
2階にデニーズがあった場所で、
HIROさんは彼らの心を震わす
言葉を言っていた。
「ダンサーが前に出るグループで
芸能界にチャレンジしたい、一緒に
やらないか?」と誘っていた。
元々、ZOOのHIROさんに
憧れてダンスを始めた3人は、
イベントで知り合い、1994年に
ダンスチーム「BABY NAIL」を
結成させて、アンダーグラウンドの
世界でカリスマ的ダンサーになっていた。
そんな3人の夢は、プロのダンサーに
なることだが、高校卒業後に彼らを
待っていたのは、アルバイト漬けの
生活だったという。
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90年代半ばはJ-POPが全盛期で、
ダンサーが注目されるような
時代ではなかった…。
たまに後輩たちに1回千円でダンスを
教えるのが、唯一の楽しみだったそう。
そんな時に現れたのがHIROさんで、
3人は誘いに断るはずはなかった。
こうしてHIROさんを中心に、
MAKIDAIさん、MATSUさん、
USAさんとヴォーカルの一人を加えて
EXILEの前身となるJ Soul Brothersを結成。
芸能事務所には所属していたが、
スケジュールは全くの白紙。
事務所から貰える月給は6万円で、
牛丼屋で1つの皿をみんなで
分け合って食べたこともある。
HIROさんは、もはや自分だけの
問題じゃなく、年下である彼らの
未来も掛かっていたことから、
表参道に松浦勝人さんを
訪ねに来ていた。
松浦さんは輸入レコードの
卸会社を起こして大成功。
現 エイベックス・グループの
創業者として音楽業界で
力を持っていたそうだ。
そのビルの最上階に
松浦さんが居るのが、
相手は音楽業界の大物で
簡単に会えるものでない。
そこでHIROさんは
偶然会って話をする為、
松浦さんが行きそうな店を
夜ごと回って再会する事が出来た。
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力を貸して欲しいとHIROさんは
プライドを捨てて、松浦さんに
頭を下げると、エイベックスとの
契約を了承して貰う事が出来た。
こうして、エイベックスから
3枚のCDを発売した。
知名度をあげるために、
年間100回のステージを
ライブハウス・路上ライブ、
地方デーパートの屋上など、
踊れる場所があるなら
どこでも行ったという。
時には、出演前に蛍の光を
流されてしまい、貴重な
0人ライブになった事も!
ある日、ヴォーカルが脱退。
1ヶ月以内に新たなヴォーカルを
探さないといけない。
HIROさんが当時付き合っていた
彼女から「凄い歌の上手い子
居るからみてみなよ!」と言われ、
TV番組 ASAYANをみると
一人の青年、後のEXILEヴォーカル
となるATSUSHIさんがHIROさんの
目に留まった。
1980年 埼玉県越谷市生まれの
ATSUSHIさんは、音楽好きの
父の影響で4歳からピアノを
習っていた。
そんな彼が何故、歌手を目指すように
なったかというと陸上競技会で
一目惚れをしたこと。
好きな子を振り向かせたいと
音楽の専門学校に入学。
歌手デビューを目指し、
数え切れないほどの
デモテープをレコード会社や
プロダクションに送っていたが、
声はかからなかったそうだ。
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