今回は3月21日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
木々に埋もれて数棟の建物が
赤く丸く写る物が
衛星写真で見つけた鹿児島県
東シナ海に近い側の山の中の
ポツンと一軒家を目指し
最寄りの集落から捜索を開始。
最寄りの集落に到着すると、
玄関の前に2人、人が立っているのを
確認した。
捜索隊が道を尋ねようとすると、
1人のお母さんが手招きして道の
草刈り中だったお父さんを呼んでくれた。
お父さんに衛星写真を見てもらうと、
炭焚き小屋ではないかという。
どうやら目指すポツンと一軒家は
人が住む民家ではなく、炭焼小屋らしい。
修学旅行生がバームクーヘンを焼いたり、
ご飯を炊いたりしているという。
暇だから一緒に行ってもいいと
いうお父さんは携帯で炭焼き小屋の
持ち主に直接連絡して段取りしてくれた。
捜索再開。
山道を進んで行くと、車1台分の
狭い山道で対向車と鉢合わせ。
その対向車はバックしてくれたが、
すれ違える道があるのにも関わらず、
それでも戻り続ける。
炭焼き小屋の持ち主?と、
思っていると建物を発見!
ポツンと一軒家に辿り着いた。
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電話を受けて飛んできてくれたのが、
ポツンと一軒家のあるじ
はまだしげるさん73歳。
はまださんがこのTVを観とって、
「うちにも来ないかな?」って
言ったら、妻からこんな所に
来ないと会話した事もあったとか。
親切にしてくれたお父さんとお別れ。
はまださんによると、この辺りは
昔、集落だったが今では杉林に。
その根元には棚田だったことを
うかがわせる石垣跡が残る。
かつてはまださんの親戚が
何軒か住む集落だった。
子どもの頃よく遊んだ思い出の場所を、
再び人の集まる場所にしたいと、
はまださんが今から13年前に定年退職。
昔は畑だったこの土地に
中学時代の同級生と炭焼き窯を築造し、
大人数で囲める焼肉テーブルも製作。
この山の麓の町で生まれ育った
はまださんは、高校卒業後に大阪の
プラスチック工場に就職する。
23歳の時に鹿児島に戻って、
地元の消防署で消防士になり、
定年退職するまで37年間勤務。
最後には地元の消防署の
署長を務めていた。
何か人のためになる仕事を
やりたいと思って、警察も
受けたが通らなかった。
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この辺りは、椎原地区で
炭焼き窯の焚き口を見せてくれた。
この窯で大体5~6日間、
焼いている時は交代しながら
付きっきり焚く。
13年前に中学時代の同級生と
築窯をしたと言うが、
全員 炭窯造りは初体験だったため、
専門家の指導を受けて約1ヵ月で
完成させたという。
窯の中には、去年2月に作った炭が
あるというので見せてもらう。
冬場でないと、
炭焼は出来ないらしいが、
ここでは樫炭を作っている。
炭窯以外にも仲間と、
ピザ窯・竹炭窯・燻製窯・
炭の保管小屋などを
作ったそうだ。
これらの施設や管理・清掃を
はまださんがほぼ毎日来て、
1人で行い、必要な費用を
はまださんが自費で負担
しているようだ。
そのため、今も甑島航路の船の綱取りとか、
水を入れたりとかする仕事をされている。
お金は出て行く一方だが、
楽しみでやってるので、
苦ではない。
そんなはまださんの一番の楽しみは、
年に1度ある秋の恒例行事!
それは例年、10月に地元自治体が
主催しているハイキングイベント。
8年前から開始。
炭焼小屋をスタートし、
1時間半かけて鉄塔が建つ
山頂まで登る。
参加者には、ピザや竈焚きご飯を
提供しているそうですが、
去年はコロナの影響で中止。
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それとは別に、毎年 県外から
子供たちを迎えている。
修学旅行生が来て、
炭を焼いたり、炭俵を作るそうで、
これまでに1,200人位来ているそう。
この地域には民泊で修学旅行生を
迎える家庭が約10軒ほどあって、
自然体験を目的にこの場所を
訪れていた。
ただ、炭焼には時間が掛かるため、
炭焼きの代わりに、簡単炭窯という
山で拾ったものをスチール容器に
入れて焼くと、短時間にそのままの形で
炭化させられるという。
捜索隊も簡単炭窯で炭焼きを体験する。
60歳までは消防士として火を消す仕事を
していたが、今は火をつけることが
多いと笑うはまださん。
炭を焼く間に捜索隊は、
ここで開催されている
バームクーヘン作りの体験も
させて貰える事になった。