今回は3月29日放送の

太田光が問う!選挙SP

を振り返ってみたいと思います。

 

 

 

太田光小川彩佳が、秋までに

必ず行われる衆議院議員選挙の

核心に迫る!

 

選挙14戦無敗の”選挙の鬼”と呼ばれる

大物政治家 中村喜四郎衆議院議員

71歳を民放地上波初インタビュー。

 

田中角栄元首相の

最後の愛弟子でもあった。

 

1976年(27歳)に茨城から衆院選に

出馬し、初当選した中村議員は

その後も選挙に勝ち続ける。

 

1989年(40歳)に科学技術庁長官として、

戦後生まれで初の入閣を果たされる。

 

1992年(43歳)には、宮澤内閣で建設大臣に

抜擢されるも、1994年(44歳)に

ゼネコン汚職事件をめぐり、

斡旋収賄容疑で逮捕されるも、

警察の取り調べに対して20日間の

完全黙秘を貫いたという。

 

その後、実刑判決が確定して服役。

 

ところが、2005年(56歳)で衆院選に

無所属で当選し、国政に復帰する。

 

現在に至るまで、選挙無敗!

 

2020年(71歳)に突如、

立憲民主党に合流し、

26年ぶりに政党に所属する。

 

 

中村議員は自民党がここまで

やりすぎているので、やりすぎている

時に野党へ行って、言葉を発して弱い

野党を少しでも強くできるようにやるのは

日本のためになる、この時期だと

感じたそうだ。

 

 

   

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”選挙の鬼”強さの秘密は?

 

勝つために中村喜四郎に改名

 

中村喜四郎衆議院議員は23歳の時、

戸籍ごと親の名前だった

喜四郎”に改名。

 

それは、父親の最期の死に際というのを

非常に私なりに重く受け止めて、

臨終という事で病室に入ったときに、

が最後の元気を出させるためにが、

「政治家になるまでは頑張れ」と言った時に

「努力あるのみ」「悔いはない」と言って

死なれたものですから。

 

忘れないためにどうするかと

考えたところ、この名前をもう1回

世に出してみようという

気持になったと話した。

 

 

地盤とかお金がなかったという

中村議員は死んだ人の名前を使えば、

どういう関係なのかと興味を持って

もらえるようにした。

 

選挙活動はオートバイで1日12時間

 

中村議員によると、街頭演説を1日に

30か所から40か所やると遅れてしまい、

ひどい時は2時間ぐらい遅れてしまう。

 

その時にオートバイで来ると、

「こんなに頑張ってるのだから

しょうがないな遅れても」って事になる。

 

 

   

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逮捕後も残った強固な支持者

 

斡旋収賄容疑で逮捕され、無実を

主張し、警察との戦いに突入。

 

の名前を汚し、このままじゃ

絶対に退けない、検察と死んでも戦うと

思った中村議員は、拘置所にしばらく

勾留されている間に弁護士に情報を聞くと、

支持者から信じている頑張れと、

後援会の人から返ってきていると知る。

 

その時、自分で投げ出さないで戦って、

現役のまま刑務所に行くことを

目標にしたという。

 

刑務所に行くと、副所長から

「自殺だけはしないでくれ」

言われていた。

 

完全黙秘した事について中村議員は、

黙っていた方が検事のやり方が

わかってくるからと説明。

 

1週間黙っていると、検事は同じことを

聞いてきて、それがわかると探り合いに。

 

ついそれにのると、人間関係が

出来てしまう。

 

一切喋らなければ、

人間関係は遮断できる。

 

 

 

また、出馬を決めたのは

刑務所で新聞を読んでいると、

補欠選挙に出た方が

「中村受刑者が出ると思いますと」

聞かれると「願うところだ」

当選した時に言っていたので、

は外でまだ生きてんだな、

自分にはまだ価値があると

思ったから。

 

 

   

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