真夏の絶恐映像

日本で一番コワい夜

を振り返って

いきたいと思いますので

宜しくお願いいたします。

 

 

 

死者の声が聞こえる警察官

 

元宮城県警 鳴子警察署署長は、

捜査官から警察署長まで務めていた

犯罪捜査一筋の人生を送った。

 

そんな署長が現役時代に

誰にも話せなかった

能力があったという。

 

それは、死者からの声を

聴くことができる捜査官だった!?

 

※本人の体験を基にした再現より

 

 

   

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1979年7月に母親2人の子ども

変死しているとの一報を受けて、

現場に到着した署長は、

この事件の捜査責任者だったそうだ。

 

通報者は父親

 

母親は出血多量で亡くなっており、

両側のさんたちは紐で首を

絞められたような状態で

亡くなっていた。

 

遺体を見た署長は、

子どもの頬に撫でたような

血痕が付いているのに

気が付いた。

 

母親は死後に子どもの頬を

撫でることは勿論、出来ない事から

この部屋に子どもの頬を撫でる

事が出来た第三者がいたことになる。

 

これは殺人事件、だとすると犯人は

父親を疑った署長

 

夫婦関係のトラブルによって

3人を殺害し、第一発見者

装って通報した?

 

その推測を確かめるため、署長

母親の遺体に歩み寄る。

 

一見、検死しているかのように

みえるそのしぐさだが、それは

他の捜査員からは少し奇異に見えた。

 

署長は検死ではなく、死者との

対話をしようとしていた。

 

犯人は、あなたの旦那さんではないかと、

問いかけてみると、死んだはずの母親が、

犯人の正体を語り始める。

 

それは、耳で聞くのとは異なり、

心の直接聞こえてくるような

声だったという。

 

だが、その声は

あやめたのは私です。

と、言っていたとか。

 

署長は本当にその通りなのか

父親をかばっているのではないか

と、問いかけるが私です。

と答えたそうだ。

 

 

   

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実は、子どもは2人とも

腹部を刺されていた。

 

つまり、子どもたちを殺害したのは

母親で、子どもの頬に付いていた血は、

殺害後、その返り血の付いた手で

撫でたためついたと、推察できる証拠。

 

その後の捜査の結果、

母親の無理心中と判明された。

 

 

 

1982年のある夕方に起こった事件。

 

自宅で老婆何者かに

殺害されるという事件が起こり、

署長が捜査の指揮にあたる。

 

老婆の死因は、けい動脈を

切られたことによる

失血死とみられる。

 

室内に物色されたあとはなく、

被害者は座ったまま抵抗した

様子が全くなかった事から

顔見知りの犯行かと思われた。

 

署長老婆に聞いてみると、

 

犯人は知らない人でがす

 

と、答えたという。

 

 

だが、知らない人の線で

捜査しようという気持ちには

なれなかった。

 

犯人老婆の認識者

の捜査方針に。

 

 

ところが、事件発生から

1週間経っても犯人の目星すら

つけることができない。

 

 

最近、老婆が殺害された自宅近くに

ある殺人事件で仮出所した男

住み始めた情報が入る。

 

この情報が犯人に結び付けば、

老婆の声が真実だった証明になると

署長若手刑事の捜査に

専従させることに!

 

すると、署長は捜査半ばで

指揮官の座を外され、総務課へ

異動させられらてしまう。

 

的外れな捜査と陰で批判を

されていた模様。

 

署長は真実を告げられない

ジレンマに苦しむ。

 

 

事件発生から約8ヵ月後、

犯人逮捕。

 

それは、老婆の言葉通り

知らない人だったという。

 

署長のマークした人だった。

 

 

   

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