今回は9月4日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

屋根の中央が赤い建物が母屋?

家の周囲に畑?空き地?

屋根の緑が新しい?

増築?リフォーム

衛星写真で見つけた茨城県の

ポツンと一軒家を目指し、

最寄りの集落から捜索開始。

 

 

最寄り集落に倒着。

 

家の前にいたおさんを発見し、

衛星写真を見てもらうと、

目指すポツンと一軒家に暮らして

いるのは、オノセシゲミツさん。

 

80代の夫婦2人が敷地の入り口に

炭窯があり、炭を焼いているそうだ。

 

捜索再開し、おさんに

教えて貰った武生神社の近くの

見晴台に立ち寄る。

 

空気が澄んだ冬の晴れた早朝、

茨城県の北部にある山の上の

見晴らし台から200㎞先の

富士山が見えることがあるらしい。

 

もう一つの見晴らし台を越えて、

砂利道が続く前のゴミ収集容器

近くに車を止めて、歩く。

 

その時、おのせさんの奥さんが

運転する車と鉢合わせ。

 

さんは予定を変更して

案内して貰える事になり、

ポツンと一軒家に辿り着いた。

 

 

 

 

ポツンと一軒家あるじ

おのせしげみつさん84歳と

さん80歳。

 

昭和59年にこの地域の林産資源の搬出と

生活道路の整備が目的の道路として、

林道が開通。

 

それがちょうど、山の上の集落の

世代交代と時期が重なり、開通前に

いた13世帯が次々と山を下り、

14年前におのせ家1軒だけに。

 

 

   

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ここに人が住み着いたのは

享保の頃で、ここら辺は戦国大名

佐竹義重氏の落ち武者。

 

徳川幕府から秋田移送になるのを

逃れて、この山へ逃げ込んで

住み着いたらしい。

 

だから佐竹氏の家臣が多い。

 

 

ここにこの家が出来たのが安永7年、

江戸時代の茅葺き屋根。

 

安永7年(西暦1778年)10代将軍

徳川家治の時代、築244年に

建てられたおのせ家の母屋。

 

庇は前は杉の皮で葺いた

屋根だったが、トタンにした。

 

昔は杉とか檜の皮を屋根に

利用したが、10年くらいで

腐って葺き替える事になるそうだ。

 

屋根の一番上にあるぐしの部分は昔、

ほとんど竹で押さえていたが、

竹では5~6年で駄目になってしまう。

 

トタンにしたのは30年前で、

しげみつさんが自力で

足場を作って屋根を修繕した。

 

雨漏りしたら傷んでる所を

取り替えるそうで、その方法は

茅を1mくらいに切断して

傷んでる所に隙間なく差し込む。

 

 

   

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おのせ家の5人兄弟の長男として

生まれたしげみつさんは地元の

中学校を卒業後、18~25歳まで

自衛隊に所属。

 

実家に戻り、家業の林業を手伝いながら

非常勤の予備自衛官として60歳まで勤務。

 

今も井戸水を炊事に使っている

おのせ家の井戸があるのは、

家から50m離れた急な斜面の下にある。

 

現在は電動ポンプを設置しているが、

昔はバケツで水を汲み、担いで運搬。

 

 

山の上の昔話に出てくるような

ポツンと一軒家夫婦2人で

暮しているおのせ家の母屋の

隣には今は物置きになっている

穀物蔵がある。

 

30年前から趣味でやっている

炭作りを冬に行い、普段は

運動を兼ねて夫婦

野菜を作っている。

 

 

   

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