今回は2月1日放送の
ワールド極限ミステリー
まるで韓国ドラマの世界
の回を振り返って
みたいと思います。
1982年 韓国 釜山
当時14歳のチェ・スンウは
学校からの帰宅中に警察に
呼び止められ、弟のために
残しておいたパンを盗んだと
疑われ、トラックに乗せられ
どこかに連れて行かれてしまう。
そして、辿り着いたのは
ブラザーズホームと呼ばれる
ホームレスや非行少年などを収容し、
自立更生させる福祉施設だった!?
何の説明もないまま、ジャージに
着替えさせられ、胸元に書かれた
番号で呼ばれることになってしまう。
その後、二段ベッドが並ぶ異様な
空間に連れて行かれると、そこには
同じジャージを着た多くの人を
目の当たりにした。
いきなり点呼がはじまり、
番号を言い間違えただけで
殴打される。
連帯責任のペナルティは体罰。
監禁された被害者は約3万8000人。
激しい暴力と洗脳によって、
誰もが逃げ出すことを諦める
ような場所だった。
しかし、657人が死亡した収容所の
闇を暴き、人々の救出に向かったのは
1人の若き検察官。
そこには、巨大な権力と闘いが!
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恐ろしい暴力を目の当たりにした
収容者は恐怖に慄いたという。
元収容者のチェ・スンウは
施設に連れて行かれた時、
人が暴力を振るわれながら、
引きずられている姿を見た。
5年近くいたが、とても多くの人が
暴力を受けて亡くなり、自分もここで
死ぬのではないかと怖くて仕方が
なかったという。
そこは、ゲームと称し
簡単に人が殺される場所、
死にたくなかったら絶対に
逆らってはいけなかった。
翌日、この収容所に君臨する
ブラザーズホームを創った
パク・イングン院長が
収容者を罵倒した。
収容者に一切の自由はない。
生活の実態を被害者の
ハン・ジョンソンさんが
語ってくれた。
彼は9歳の時に姉と一緒に
連れてこられ、およそ2年間
監禁されていた。
収容者は小隊といわれる120人ほどの
グループに振り分けられ、各小隊は
同じ建物で寝起きしていたという。
起きるのは毎朝、4時か4時半で
5時に中隊長が点呼に来るので
それまでに座って待つ。
スピーカーから流れる讃美歌や
お祈りはすべて復唱する。
大食堂では腐った野菜や
具の無いスープばかりが
出されたそうだ。
そこでは全部で500人位は入れるが、
施設全体で3000人以上いたので、
全員が食べるためには食事時間は
2~3分しかない。
日中は1日職業訓練という
名を借りた強制労働で、
一日も休みはない。
施設内の工場で靴・洋服などを
作らされたという。
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渡り船という体罰では、幹部が棒で
足の裏を殴るので、かかとのじん帯や
アキレス腱に当たると切れて大ケガを
負うこともある。
そういう人は病院に運ばれ、
治療を受けるが亡くなって
帰って来ない人もいたようだ。
消息の分からない
チェの祖母は警察に相談して
捜索願を出すが、警察と
ブラザーズホームに協力体制に
あるため、破棄されていた。
ブラザーズホームに収容される
理由の一つは、
1981年 大統領特別指示。
近頃増えているホームレスを
取り締まり保護措置をすること。
1988年に開催が迫っていた
ソウル五輪。
世界に対し、先進国の仲間入りを
アピールするため、
「街の浄化」を指示した。
それを受けた警察官たちは
勤務評価を上げるために
一般人まで強引に送り込んだ。
その中には多くの子どもが!
実際に、ホームレスや非行少年は
収容者のうち、たった1割しか
いなかったという。
一方、ブラザースホームには
収容者数に応じて政府から
補助金が出たため、パク院長は
どんどん収容者を増やした。
最大時には4355人を収容し、
巨額な補助金を手にした。
表向きは貧しい人々のための
福祉施設だったことから
パク院長は慈善家として評価され、
大統領から表彰されていた。
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