今回は5月11日放送の
私のバカせまい史
知性の丘に咲く一輪のボケ
クイズおバカ枠史
を振り返ってみます。
何の役にも立たない、
明日には忘れているような
二度と使うことのない情報。
クイズ番組に欠かせない
「おバカ」タレント。
「おバカ枠」は
なぜ生まれた?
どう進化した?
番組調べによる日本初の
クイズ番組は、1946年に
NHKのラジオで放送された
話の泉。
「話の泉」の概要
・当時の呼称は「当てもの」
・一般リスナーからの問題に
5人の文化人が10秒で解答。
まだ、クイズという言葉が
日本にきてない時に
当てものと呼んでいた。
実際に会った問題は、
がんもどきの作り方を
ご存知ですか?というもので、
正解は豆腐を潰して切り昆布と
人参を混ぜて揚げます。
この番組の解答者は
「うれしいひなまつり」
の作詞家サトウハチローさん、
「東京タワー」命名にも
関わった徳川夢声さんなど、
博学博識の文化人。
まだ、「おバカ」は
存在していなかった。
1969年にスタートした
クイズタイムショック。
1分間に12問のクイズが
出題され、正解が3問以下だと、
イスが回転する。
わざわざお金をかけて、
イス大回転セットを
作った手前、
なんとしてでも
回転させないといけない。
元祖おバカ 大泉滉さんは、
簡単な2択クイズを
ことごとく外す。
タイムショックに
4回出場した結果、
すべてイスが回った。
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大泉滉さんは初回でガッツリ
爪痕を残したので、節目の
大会と最終回に呼んで貰えた。
1976年にはレギュラー
おバカ枠を確立する
伝説的な番組が登場!
大橋巨泉さんがMCの
クイズダービー。
芸能人・著名人の解答者を
競走馬に似立て、
問題ごとにオッズを設定。
一般参加の3チームが
勝ち点を賭けて競う番組。
芸能人解答席は、競馬のように
①穴②大穴③本命④対抗⑤ゲスト
となって、①と②はたまに
当たるから賭けると面白い
2枠がおバカ枠だった!?
①枠に座っていたのは、
篠沢秀夫さんと北野大さんなどで、
頭が固い考えすぎおバカ枠だった。
②枠に座っていたのは、
井森美幸さんや新体操選手の
山﨑浩子さんなど。
2人はそれぞれ、現在の
クイズ番組にもつながる
アイドルおバカ枠・
アスリートおバカ枠を確立。
アイドルおバカ枠は現在、
村重杏奈さんが受け継ぎ、
アスリートおバカ枠は
丸山桂里奈。
その血統は脈々と続いている。
さらに、クイズダービーには
番組開始から半年間だけ
幻のおバカ枠が存在していた。
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それは、ガッツ石松さん。
当時26歳で
WBC世界ライト級の
現役チャンピオン。
ガッツさんの登場によって、
1991年~渡嘉敷勝男さん、
2011年頃~具志堅用高さんが
ボクサーおバカ枠の扉を
こじ開けた。
1980年代には
おバカ枠必須時代が到来!
1981年にスタートした
なるほど!ザ・ワールドで
おバカ枠を担ったのが、
アグネス・チャンさん。
マスコット的おバカ
として活躍した。
1988年にスタートした
クイズ!年の差なんてでは、
アイドル達が躍動した。
1985年にスタートの
所さんのただものではない!
は、子どもからのヒントで
正解を考える番組で、
そのおバカ枠にいたのが
マリアンさんや
オスマン・サンコンさんなどの
外国人タレント。
どれだけ活躍しても、
おバカ枠は
クイズ番組においては
脇役に過ぎなかった。
ところが、2000年代に入ると
ヘキサゴンⅡクイズパレード!!が
大革命を起こす。
CDデビュー&紅白出場するなど、
空前のおバカブーム!!
これまで脇役だった
おバカを主役に!
今回の結論!
おバカ枠には
天才しか座れない
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