今回は、10月8日放送の新番組
関ジャム 完全燃SHOW
【関ジャム音楽史~ヴィジュアル系編~】
を振り返っていきたいと思いますので
宜しくお願いいたします。
ヴィジュアル系には、4つの歴史があり、
80年代 創成期
90年代 黄金期(前半・後半)
00年代 ネオヴィジュアル期
10年代 戦国期
に分けられる?
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80年代 創成期にはまだ、
ヴィジュアル系という
言葉はなかった。
元祖ヴィジュアル系!!シーンの
始まりはXだった。
Xは当時、世界的に音楽シーンの
中心だったへヴィメタルとド派手な
見た目で一躍人気となり、
1stアルバムは60万枚以上を記録。
※オリコン調べ
1992年に日本のアーティストとして、
初の東京ドーム3DAY公演を行った。
同時期に人気沸騰したクールな見た目の
1987年にデビューしたバンドBUCK-TICKは、
ゴシックロックと言われるダークな音楽性が
持ち味で、重低音がバクチクするの
キャッチフレーズが話題となった。
礎を築いたバンド
COLOR
東のX・西のCOLORとし当時、
人気を二分したバンドで
自主レーベルのフリーウィルを
設立した。
DEAD ENDは、当時インディーズでは
異例の2万枚のセールスを記録した。
2009年には20年ぶりに
活動を再開も。
AURAは、4人組のロックバンドで
三宅裕司のいかすバンド天国や
天才・たけしの元気が出るテレビ!!
などのTV出演を期にブレークした。
BY-SEXUALは、夢であえたらなどの
TV出演を期にブレークし、映画
幕末純情伝の主題歌などを務めた。
鬼龍院翔さんが考える
ヴィジュアル系とは、
音楽ジャンルではない。
ヴィジュアル系とは、文化的要素が
強く、太いアイライン&楽器を持つ
お兄さんたちだという。
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DAIGOさんが考えるヴィジュアル系は、
XさんやBUCK-TICKさんの時代は
ヴィジュアル系という言葉はなく、
後々呼ばれるようになった。
GLAYさんやラルクさんとかも
あとあとカテゴライズする人も
いるけど思っていない人も居る。
BOØWYさんが元祖と思う人も
居るので難しい部分だという。
鬼龍院翔さんが考える、なぜ
このシーンがビジュアル系と
呼ばれるようになったかを
こう分析する。
それは、Xさんの1989年に
発売されたBLUE BLOOD
というアルバムが起源では
ないかと分析する。
ソニー・ミュージックレコーズ (1989-04-21)
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VISUAL SHOCKと書いてる。
シドのヴォーカル、マオさんが語る
X-JAPANのすごさは、バラードの
サビより高音のDメロが斬新で、
カラオケで歌う時、サビまでは
原曲キーで歌えるがDメロからは
キーを2個下げないと歌えない。
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鬼龍院翔さんが思う
X-JAPANのすごさは、
メタルなのに美しい歌メロ。
X-JAPANの音楽は1980年代に
流行したL.A.メタルを日本人好みの
メロディーを激しい音楽にのせて
素晴らしいクオリティの楽曲が多い。
また、クリスタルピアノや衣装で
新しいバンドの見せ方をしている所。
昔はヴィジュアル系バンドを
組む事になったら、そこの地域の
偉いバンドさんに挨拶をしなければ
ならなかったようです。
90年代の黄金期には、
RYUICHIの歌声&ファンをSLAVE
(奴隷)と呼ぶドSな振る舞いと
ライヴへの登場はヘリコプターなどの
パフォーマンスを行う
LUNA SEAが1992年に
デビューした。
過激な歌詞とパフォーマンスで
名古屋のインディーズシーンから
登場した黒夢が登場し、1997年頃
ロック路線で活躍。
ヴィジュアル系史上、最も成功したのは、
1994年にデビューしたGLAY。
デビュー曲はYOSHIKIさんが
プロデュース、
97年のベストアルバム売上414万枚
CD総売上は3800万枚。
※オリコン調べ