今回は11月12日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
大きな建て物が1棟
建物のすぐ前に道路が
建物脇に畑?
衛星写真で見つけた秋田県の
ポツンと一軒家を目指す。
宮崎県のポツンと一軒家を
目指し、最寄りの集落から
捜索開始。
作業中のお父さんに
衛星写真を見てもらうと、
目指すポツンと一軒家
のあるじはしょうじさん。
元々、大工をしていたそうだが、
今はもう80歳を過ぎ、仕事を
辞めて1人で暮しているという。
捜索再開し、岩石や土砂を
積み上げて建設する型式の
ロックフィルダム沿いの
道を進み、橋を渡って右折
していったりした後に、
目指すポツンと一軒家に
辿り着いた。
そこには、
2人の男性がいた。
まさか、ここに来るとは
思わなかったと驚きつつ、
笑顔で捜索隊を迎えて
くれたポツンと一軒家の
あるじ しょうじしげるさん
71歳で、一緒に居た男性は
山仕事仲間。
小屋を2人で建築予定。
機械も揃っているので、
仕事があればバンバン
やるという。
麓より約5℃低く、
風通しの良い
山の上で舞茸栽培も
されている。
来る途中にあった
舞茸狩りの看板は
しょうじ家の案内板。
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自慢の舞茸を栽培する
裏山に連れて行ってもらう。
舞茸の菌床は
200株近くあるが、
今は発芽前。
熱を保温するために、
黒い袋を被せ、
最大25㎝の
舞茸ができる。
黒い袋の中は、
菌床ブロック
(木粉の固形)
の中に舞茸の菌が
いっぱい
詰まっている。
舞茸栽培の3つの条件は、
温度・木陰・風通し。
舞茸の菌床栽培を
始めたきっかけは、
キノコの先生に
一昨年あたりから
聞いて、本格的に
やりだしたのは去年。
ここの地主に電話して、
舞茸ができたらお礼に
送るのを条件に、
5年間は無料で使用
させて貰っている。
ここで作った舞茸は
市場に卸しているが、
卸値が安価なので、
舞茸狩りで直売。
去年はただ、ちょこっと
看板出したら完売したので、
今年は力入れて量を
多めにした。
野性の熊も猪も
生息しているので、
爆竹とかを用意しておく。
ポツンと一軒家は
ダム工事で、ダム工事の
人達を泊めるように造った。
たまたま、スキー場を
造るにあたって、
親の土地が削られ、
その代替地として
親子で2ha購入。
実家はダム用地になり、
普通はみんな町へ
出て行くけども、
しげるさんだけ残った。
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米農家の4人兄弟の長男
として生まれたしげるさんは
地元の中学校を卒業後、
東京に出て、大工になった。
昭和48年に実家があった
集落一帯で、ダム建設の
計画が決まり、生まれ育った
家が集落ものともダムの底に
沈むことになった。
昭和57年には、
しょうじ家が代々
所有する山の一部が、
スキー場建設のための
区画整理の対象になった。
しょうじさんの両親は、
田んぼと家を手放し、
近隣の集落へ移住。
この時、先祖代々の土地を
手放す代わりに、近くの
山の上に土地を購入。
38歳の時に東京から
秋田に戻ると、ダムや
スキー場の工事関係者が
宿泊するための民宿を建設。
14年前の平成21年に
奥さんを亡くし、
1年で900人宿泊していた
民宿を廃業し、現在は
1人暮らしをしている。
民宿を廃業してから
2年後に東日本大震災が
発生し、被災地で
仮設住宅の建設や
土木工事など復興支援の
ために働いた。
3年前に帰郷し、10年近く
空き家にしていた山奥の
ポツンと一軒家は老朽化が
進み、あちこち傷んでいた。
そのため、自力で少しずつ
修復している。
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