今回は、1月3日放送の

消えた天才 新春3時間SP

松井秀喜さんが絶対に

打てなかった天才

を振り返っていきたいと

思いますので宜しくお願い致します。

 

野球界のレジェンドである、

松井秀喜さんには、絶対に

打てなかった天才がいるという。

 

読売巨人軍の4番バッターとして

3度のホームラン王に輝き、

メジャーのニューヨークヤンキース

でも4番打者、日本人初の

ワールドシリーズMVPも獲得し、

引退後は国民栄誉賞を受賞した。

 

1992年の夏の甲子園

星稜 VS 明徳義塾で、

対戦相手から5打席連続敬遠され、

当時は社会問題になった松井さん。

 

そんな松井さんが中学時代に

打てなかった天才がいたという。

 

 

   

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松井さんが天才とはじめて

対戦したのは中学時代の

練習試合で、その選手は

エースピッチャー。

 

松井さんは3打数0安打で、

ほぼ完全に抑えられていたそうだ。

 

その天才は中学時代、全国ベスト4で

高校では18歳以下の日本代表に

選ばれ、松井さんと共に日の丸を

背負っていた。

 

その天才の名前は、山口哲治さん。

 

1992年 甲子園石川大会で

山口さんが奪われた得点は0で、

防御率は0.00。

 

甲子園では7回2アウトまで、

ノーヒットノーランだった。

 

山口さんがいた事で、

松井さんは初日に

ピッチャーをクビになって

しまったという。

 

そんな2人はプロ野球でも

活躍すると思われていたが、

山口さんはプロ野球選手にはならず

表舞台から姿を消していた。

 

 

現在は兵庫県にお住まいで

神戸製鋼で働いていた。

 

 

   

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高校3年の秋、

ドラフト会議でマスコミが

集結していた。

 

松井さんは4球団から1位指名され、

巨人が交渉権を獲得した。

 

山口さんの指名がまだなんでと

松井さんは会見を待っていたが、

山口さんの指名はなかったという。

 

山口さんはプロ表明したが

指名なしで重たすぎて

全てが終わったと当時、

思っていた。

 

山口さんの指名がなかったのは、

オリンピック直後で例年より、

投手が激戦区だった事が一因とも

考えられているそうです。

 

山口さんは卒業後、社会人野球

の道へ進むが、26歳で戦力外通告

になってしまう中、松井さんは

5億円プレーヤーに!

 

2000年 山口さんの結婚式で

松井さんはプロになれなかった

かつての同盟に、僕らの間には

阿吽の呼吸で言葉を交わさなくても

マウンドとサードベースで言葉を

交わしていたような感じてますし、

山口さんがいたから今の僕があると

感謝の想いを伝えていた。

 

さらに松井さんは、山口さんと昔、

プロ野球で対戦するか、

同じチームでやる夢もあり、

叶いませんでしたけど、

新婦さんと力を合わせて幸せな

家庭を築いていただいて、

2世をプロ野球選手に送り込んで

頂き、読売ジャイアンツ

お待ちしておりますと述べた。

 

 

 

山口さんは現在、3人の

子どもの父親になり、

長女をはじめ兄弟全員

野球をやっているという。

 

長男は、プロ野球選手になって

親を抜かして活躍したいという

夢があった。

 

少年野球の監督としても山口さんは、

自身の子どもにも指導をしている

そうで、一番センスがあるのは

長女であると教えてくれた。

 

山口さんの夢は、自分が育てた

子が、プロに行くような選手になって

今度は松井さんと関われる教え子・

自分の子どもが松井さんと共通の

選手が出来たら幸せだという。

 

 

   

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