今回は10月19日放送の
ビーバップ!ハイヒール
関西産業遺産ランキング
~遺構に刻まれた光と影~
を振り返っていきたいと思います。
世間の注目を集める建物に
秘められた栄光のドラマに迫る
長崎県の世界遺産、
軍艦島は無人島になって40年以上で
廃墟が立ち並んでいる。
しかし、その建物はかつての
栄光を伝える痕跡。
明治から昭和にかけて軍艦島は
日本屈指の炭鉱で良質な石炭を
供給し続け、日本の近代化に
貢献をした。
最盛期には、甲子園球場2つ分ほどの
島に5200人が住み、人口密度は
世界一になったが、燃料の主役が
石炭から石油になり、1974年に閉山し、
全島民が去っていった。
富岡製糸場 石見銀山 三池炭鉱
八幡製鉄所など、かつて国の産業を支え
新たな余生を過ごす建造物の産業遺産が
世界遺産に登録され、注目されている。
産業遺産フォトグラファーの前畑洋平さんが
厳選した関西産業遺産ランキングとは?
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6位 関西の○○産業を
牽引した山中の廃墟
神戸市・灘区
摩耶山展望台へ向かう
ロープウェイに乗ると、
山の中に錆びれた建物は
ホテルだった。
1920年代、観光地開発が
日本全国で熱気を帯びると、
摩耶山は避暑地として人気に!
1924年には摩耶ケーブル開業すると、
その途中の駅に、1929年
摩耶温泉ホテル(後の摩耶観光ホテル)
が開業して、喧騒から離れ神戸の街を
一望できると人気を博した。
神戸の観光産業を支えてきたが、
1970年代になると自家用車の普及し、
ケーブル利用客の激減で、
立地条件が致命的となってしまい、
1993年に営業終了した。
5位 日本のプライドが
詰まった古都の異質
奈良県・奈良市
奈良公園から車で5分走らせると
住宅街の真ん中でレンガ造りの
元・奈良少年刑務所
(今年3月まで稼動)で
最大700人が収容された。
欧米諸国の監獄を視察して、
1908年に機能性と美しさを
兼ね揃えた奈良監獄が完成し、
2017年の3月までの100年以上、
当時の設備で運用していた
日本の力を世界に示した
日本近代化のシンボルだった。
今後はホテルとして生まれ変わる。
4位 1000年以上権力を支えた
日本一の遺構
兵庫県・朝来市
菊の御紋がある、銀の産出量日本一
を誇った生野銀山は、室町時代から
銀が本格的に採掘されたと言われ、
織田信長 豊臣秀吉 徳川家康
天下人の直轄の鉱山として栄えた。
明治以降、政府の直轄鉱山として、
近代日本の発展に大きく貢献し、
その後 財閥の三菱へ払い下げられると、
1945年~55年にかけて最盛期を迎え、
人口は1万人を越え、鉱山の町となった。
千年以上、日本一の銀山として、
産業を続けてきた絶頂の
1973年にかつてのように
銀がでなくなってしまい休山。
鉱山道の総延長は350km以上で
深さは880mに達していた。
2014年に生野銀山と、その関連施設は
国の重要文化的景観に選定された。
今はあくまで休山で、新たな銀の
鉱脈を探し続けているという。
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3位 大阪城に残る
門外不出の東洋一
大阪市・中央区
大阪城公園の一角に
ボロボロのレンガ造りの
建物がある。
かつてここは軍事工場だった。
1879年大阪砲兵工廠(元・大阪造兵司)は、
西欧諸国の軍事技術に追いつくため、
戦争のたびに規模を拡大し、
金属加工技術をリードしてきた。
民間企業の人材・技術育成にも貢献し、
1945年には敷地596万㎡ 工員6万人以上で
技術力・規模ともに東洋一の軍需工場は、
日本の産業を支えてきたが、1945年8月14日の
大阪大空襲で集中爆撃で大部分が崩壊、
終戦とともに閉鎖された。
現在残っている砲兵工場の建物は
ここだけで、今では大阪城の景色に
溶け込んでいるこの場所が、かつて
日本の産業を支えた事を知る人は少ない。
2位 関西人の夢を乗せた
栄光への架け橋
兵庫県・姫路市
JR姫路駅のすぐそばにある
周辺にいくつも点在する
謎のコンクリートの塊。
それはモノレールの橋脚、
姫路にはモノレールがあった。
1966年に姫路大博覧会が開催された
交通手段として国内初の公営モノレールの
姫路モノレールが建設された。
姫路モノレールは、
姫路から手柄山間の1.6kmを運行した。
姫路市民にとって姫路モノレールは夢で
完成を喜んで更なる栄光への架け橋
だと思っていたが、博覧会が終わると
わずか1.6kmの運行区間と
バスの5倍の運賃の影響で
利用者が激減し、開発・運営していた
モノレール会社が解散してしまい、
1979年廃線となってしまい、
橋脚の撤去も進行されている。
博覧会の中心地である手柄山駅は
手柄山交流ステーションになり、
市民の憩いの場として輝いている。
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1位 古都の危機を救った
寺の中の西洋建築
京都市・左京区
京都のお寺の一画に
レンガの造りの橋は、
まるでヨーロッパにいるような
感覚になる橋。
耳を澄ますと、水の音が聞こえる。
橋の上には水が流れ水路となっている
その場所は、臨済宗大本山南禅寺。
この橋がなければ、京都産業の
発展はなかったのだという。
明治に入ると、発展する東京に対し、
京都の産業は衰退を続ける一方だった。
その状況を打開するために
琵琶湖疏水で京都の命運を握る
一大プロジェクトをはじめた。
ところが計画された水路には
南禅寺があり、寺と住民から
猛反対された。
粘り強い交渉の末、
市の予算の数十倍で規模で
夜に技師の育成 昼に実践し、
1890年に大津‐鴨川間 開通。
景観にも配慮した美しい
水路橋となった。
翌年、日本発の商業用水力発電の
蹴上発電所が完成し、紡績、金属加工、
タバコなど新しい産業の工場が続々と誕生。
さらに、この電力で日本発の
路面電車も開通した。
この事業がなければ京都の
産業の発展はなかった。
100年あまりが経過し、水路閣として
観光資源へ姿をかえた。