今回は7月12日放送の
ビーバップ!ハイヒール
昭和の名曲に秘められたドラマ
を振り返ってみたいと思います。
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松任谷由実さんのこれまでに発売した
アルバム総売り上げは3000万枚をこえる。
松任谷さんの代表曲のひとつである
卒業写真に秘められた真実とは?
松任谷由実さんの自叙伝である
ルージュの伝言には、想いを読み解く
ヒントが隠されているという。
由実さんは、高校卒業後は、
東京芸術大学への進学を目指し、
ゆくゆくは実家が呉服屋だった
事もあり着物のデザインなどの
仕事に就きたいと思っていたようだ。
由実さんに絵を教えていた20代の
女性教師の指導は厳しく、
喧嘩ばかりで反発しながらも、
東京芸大に合格するため
言われるがまま絵の勉強を
続けていくことに。
先生は由実さんを芸大に入れるために
一生懸命教えた結果、その先生の思いが
次第に由実さんへも伝わるようになるも
大学の試験は不合格。
来年もまた受ければいいじゃない!
という先生に励まされ、はいと
答える由実さんだったが、
両親に浪人を許して貰えず、
別の美大へ進学したという。
それ以来、先生についた嘘が
気まづく、街で見かけても
隠れるようになってしまった。
そして高校時代から音楽もやっていた
由実さんは1972年に返事はいらない
という曲で歌手デビューするも
このシングルは300枚しか売れなかった。
それでもめげずに曲を書き続けた
時に勇気付けたのがあの先生の
言葉によるものだった。
表面だけじゃなく 空気を描くのよ
いい?描けなかったら
自分のスタイルが見つかるまで
描きなさい
6曲目のシングル あの日にかえりたい
で初のオリコン1位を獲得!
その頃、作った曲の中には
卒業写真もあった。
先生への感謝の気持ちを歌だとも
言われているこの曲は、由実さんは
自叙伝の中で、先生について
こう語っているという。
色々な発想を教えてもらった
空気を描く そんな事を
おしえてもらった
※ルージュの伝言より
名曲の誕生には、
ドラマが隠されている。
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昭和歌謡の物語を教えてくれるのは、
音楽評論家 合田道人さんで
昭和歌謡と呼ばれる歌には、
その作られた経緯、時代、
歌い継がれたからこそ
生まれてくる理由があるという。
昭和の名曲 神田川は、当時の
若者の恋愛模様を女性目線で
綴った歌詞となっている。
その最後の歌詞の一文には、
ただ 貴方の優しさが怖かった
何故、相手に優しくされるのが
怖かったのか?
その曲の裏には・・・。
1973年、当時24歳の
南こうせつさんは、まだ無名で
ラジオ局にやってきて、
ラジオ局で放送作家をしていた
喜多條忠さんに南さんが、サードアルバム
が出るのに曲が足りなくて、1曲詩を
描いてもらえるようお願いした。
喜多條さんはそのお願いを承諾するが
期限は明日で、どんな曲がいいかと
考えていると神田川があった。
神田川の文字を見た瞬間、喜多條さんは
学生時代の思い出がよみがえる。
早稲田の学生だった喜多條さん、
6年前 キャンパスには学生運動の
熱が渦巻いて、若者はデモを
繰り返していく中に彼の姿もあった。
そんな喜多條さんは、神田川沿いの
アパートで彼女と同棲生活。
一緒に出ようねと約束した銭湯
しかし、同棲生活は1年半で
終わってしまったそうだ。
喜多條さんは同棲時代の
思い出をノートに
書きだしていった。
歌詞は完成したが、
♪何も怖くなかったで
終わっていたという。
何かが足りないと思ったその時、
喜多條さんの頭に、同棲時代の
あるシーンが思い浮かぶ。
学生運動に燃え、世の中を変えたい
という夢を持っていた喜多條さんは、
彼女の優しさに甘えると自分の夢を
諦めることになる為別れる事になった。
この時の思いが込められた歌詞が、
あなたの優しさが怖かった。
喜多條さんは、南さんに
電話口で歌詞を伝えた5分後に、
南さんは作曲を終えた。
神田川は年間売り上げ
160万枚の大ヒットを記録し、
紅白出場が決まった。
ところが歌詞を少し変えて
欲しいと頼まれた。
それは、二十四色のクレパスの
クレパスが商標名なのでクレヨンに
する事だった。
すると喜多條さんは、
そのままの歌詞でないと
意味がないと言い、南さんも
僕も嫌ですと出場を辞退した。
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